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「爆弾犯の娘」著者の女性脚本家 サイン会で運命的な“姉妹"との出会い 当初は嫌だった直球タイトル効果

北村 泰介 北村 泰介
俳優から脚本家に転身し、映画の話題作や自伝「爆弾犯の娘」を世に出した梶原阿貴  ©高橋マナミ
俳優から脚本家に転身し、映画の話題作や自伝「爆弾犯の娘」を世に出した梶原阿貴  ©高橋マナミ

 「爆弾犯」として指名手配された父との逃亡生活を余儀なくされた女子小学生がいた。映画『「桐島です」』の脚本家・梶原阿貴(53)が自身の半生をつづった書籍「爆弾犯の娘」(ブックマン社)を昨夏の公開に合わせて世に出し、約10カ月を経た今年5月に「6刷」(※書籍の印刷回数)が決定。実用書ではない文芸作品としては異例のヒットとなっている。改めて内容を振り返った上で、梶原に話を聞いた。(文中敬称略)

 梶原の父は1971年12月に東京・新宿の交番で発生した爆弾事件に関与した疑いで指名手配された元俳優。長女として73年に東京で生まれ、母子家庭を装って手芸店などで働く母と共に都内有数の繁華街・池袋周辺で引っ越しを繰り返した。部屋には夜間も電気をつけずに帰りを待つ男がいた。父だった。だが、その男の名前も素性も知らされていない小学生の娘は「あいつ」としか呼べない。80年代前半、そんな日常が子どもの視線で活写されている。

 85年12月、小学6年の梶原は母から「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」と打ち明けられた。娘は“闘争”のため俳優としてのキャリアを棒に振った父の14年間を「時間の無駄」と断じ、反面教師として自身が「役者になる」と決意。父は娘の中学入学を考慮したタイミングで出頭して6年服役し、娘は俳優としての道を歩んだ。

 父と接点のあった石橋蓮司と緑魔子の劇団「第七病棟」に中学生の時から出入りして舞台にも上がり、母の知人だった映画監督・若松孝二との縁から芸能事務所にも所属。高校在学中、中原俊監督の映画「櫻の園」(90年公開)で本格デビューした。撮影時に高校1年だった梶原は高校3年の役。長身で大人びて、周囲に同調せず、低いトーンの声で物申す演技には、一般的な16歳では体験できない環境で育った“説得力"を感じさせた。

 30代から脚本の勉強を始め、2007年にテレビアニメ「名探偵コナン」で脚本家デビュー。高橋伴明監督と初タッグを組んだ映画「夜明けまでバス停で」(22年)で数々の脚本賞を受賞して注目され、同監督との2作目『「桐島です」』につながる。

 「夜明けまでバス停で」で柄本明が演じた「バクダン」という名のホームレスは父をイメージして書いた。2回り年上で父と同世代の高橋監督に「なんで書いた?」と問われ、自分の過去を明かした。逃亡生活の果てに病院で過去を告白して死んだ男のニュースを次作の題材に決めた高橋監督は「お前にしか書けない。5日で脚本を書け」と厳命。そんな無茶ぶりを「これは運命」と受け止めた。ランドセルを背負って交番に貼り出された手配写真に見入った時、「梶原譲二」と書かれた父の隣に「桐島聡」がいた。

 映画の完成後、編集者から「書くなら今」と自伝のオファーがあった。「フィクションとして映画化したい思いがあり、私の経験を書きためてはいたけど、自分のことをさらすのには抵抗があった。今までずっと内緒にしたことを発表して、不利益を被った上に売れなかったら…」。それでも腹をくくった。映画とのメディアミックスで同時期に出版し、話題になった。

 「私も爆弾犯の娘です」。梶原のサイン会で2人の女性が名乗りを上げた。

 「昨年8月のこと。サイン会で泣いている人が私に声をかけてこられた。『このタイトルを見て私たちのことだと思って、急いで書店で買って読みました。私たち以外にこういう人が本当にいるんだと衝撃を受けました。きょうから“姉さん”と呼ばせていただいていいですか?』。2人は姉妹で、私より年下だったので『どうぞ、どうぞ』と。彼女たちは『自分たちは社会の中でマイノリティーだと思い、隠れて、親のことを恥だと思って生きてきたけど、こういう風に本という形で反転させることができると知って人生も変わった、前向きになれた』と。彼女たちはご両親と縁を切って暮らしていて、そこは私と違うけど、そういう方がいるとは想定していなかった」

 その出会いも「直球」のタイトルあってこそ。だが、梶原は「最初、嫌なタイトルだと思っていた」と明かす。「編集長が付けたんですけど、私は『やだ、こんなの!』と。映画化をにらんで私が考えていたタイトルを伝えたら爆笑されて…。でも、それで決まったタイトルを彼女たちが見つけて読んでくれたわけだから、よかったです。6刷にもなってすごくうれしい」

 脚本家になっていなければ、この姉妹のように自分の胸に秘めて生きていたかもしれない。「ノンフィクションなのに、小説だと思っていた人が多い」。まさに事実は小説より奇なり…だった。

 虚と実の間を行き来する脚本家の仕事は続く。高橋監督との「3本目」も視野に。梶原は「監督と私は誕生日が同じ5月10日。一緒にお祝いをして『2本で終わりはいやだから、3本やろうね』と言ってきました。監督にはやりたい企画が何本かあるので、具体的にしていきたいと思っています」と意欲を示した。

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