大河ドラマ「豊臣兄弟」第3回は「決戦前夜」。同ドラマにおいて織田信長を演じるのは小栗旬さん。そして今川義元を演じるのは大鶴義丹さんです。この両雄の対決の時が迫っていました。永禄3年(1560)5月、義元は大軍を率いて駿府を進発します。尾張・三河の国境に近い沓掛城に義元が着陣したのは5月17日頃。丸根砦の佐久間盛重と鷲津砦の織田秀敏から、清須の信長のもとに注進があったのは18日の夕刻のことでした。
「翌日の朝に今川方は砦の奪取に動く」というのです。彼らから今川軍迫るの報を受けた信長は急ぎ対策を立てるのかと思いきや、さにあらず。重臣たちを周りに集めてはいたものの、戦に関する話は全く信長の口から出なかったのです。単なる雑談ばかりで、それが終わると「もう夜も更けたので、皆、帰宅せよ」と告げたのでした(「信長公記」)。家老たちは「運が尽きる時には智慧の鏡も曇るというが、これはその事か」と主君・信長のことを嘲弄して各々、家に帰ったとのこと。明け方には予想通り、丸根砦の佐久間盛重と鷲津砦の織田秀敏から両砦に今川方が攻めかかって来たとの注進がありました。
その時、信長は軍議を開くでもなく「敦盛の舞」を舞うのです。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度、生を得て滅せぬ者のあるべきか」と信長は謳うと「法螺貝を吹け。武具を寄こせ」と命じるのでした。すぐに鎧を着用した信長は立ちながら食事をとると出陣します。「信長公記」(陽明本)には軍議も開かず、率先して戦場に赴く、我々がイメージする信長らしい姿が描かれています。
しかし「信長公記」(天理本)では信長は夜のうちに軍議を開いているのです。信長は国境で今川軍と一戦する覚悟を家老衆に披瀝しますが、家老たちは「敵方は四万五千の大軍。味方はその十分の一にも足りません。清須城は名城なので、そこに籠り、時機をみて合戦に及ぶのが良いのでは」と反対の意向を示します。が、信長は家老衆の籠城論を斥け、今川軍との決戦に臨むのでした。これまた剛毅な信長らしい姿です。信長と小姓衆六騎は清須城を出ていくのですが、この時、信長に勝算はあったのでしょうか。
(主要参考文献一覧)
・池上裕子「織田信長」(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人「織田信長」(KADOKAWA、2014年)
・服部英雄「桶狭間合戦考」(『名古屋城調査研究センター研究紀要』2021年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)