長年、同じ組織に身を置いていると、いつしかその場所でしか通じないスキルを操るようになる。新卒で入社以来、社内の力関係を把握し独自の稟議システムも完璧に使いこなすAさんは、社内でもエリートと評価される存在だった。
しかし、会社の傾きを機に転職を検討し始めたところ、現実の厳しさを知った。職務経歴書に書けるのは「社内調整」ばかりで、他社で通用する武器を何一つ持っていない自分に気づいたからだ。
この「この会社だからできただけではないか?」という疑念は、Aさんに限った話ではないだろう。組織の看板を外した時でも、自分に残る「持ち運び可能な能力(ポータブルスキル)」とは一体何なのか。キャリアカウンセラーの七野綾音さんに話を聞いた。
ー「ポータブルスキル」とは具体的にどのような能力を指しますか?
一般的には「論理的思考力」や「プレゼンテーション能力」と説明されることが多いですが、現場での本質はもっとシンプルなのではないかと思います。それは「相手の意図や状況を理解し、その一歩先を考えて行動できる力」だと考えています。
例えば、上司から「会議の資料を印刷しておいて」と言われたとします。この時、ただ印刷するだけなら誰でもできます。しかし、「前回の会議では文字が小さくて読みづらそうだったから、今回は拡大して印刷しよう」「関連する補足データも用意しておこう」と、相手の状況を想像してプラスアルファの価値を提供できるか。この「配慮」や「想像力」の積み重ねは、「この人に任せると仕事が進む」という信頼につながります。
このように、相手のことを考えて主体的に行動できる力は、どのような業界や職種が変わっても評価されやすい、代表的なポータブルスキルの一つです。
ーなぜ今、ポータブルスキルが重視されるのでしょうか?
ビジネス環境の変化スピードが加速し、働き方も多様化しているからだと考えます。
テクノロジーの進化により、定型的な業務は自動化が進んでいます。これは脅威ではなく、私たちがより創造的で人間らしい仕事に集中できるチャンスでもあります。
また、転職やジョブチェンジが一般的になった今、特定の組織や業界だけで通用するスキルよりも、横断的に活かせる能力が求められています。人口動態の変化により、一人ひとりの生産性向上も重要なテーマです。
こうした環境で価値を発揮できるのは、状況を読み、自律的に判断し、周囲と協働しながら成果を生み出せる人材です。技術では代替しにくい「文脈理解力」「共感力」「提案力」といった人間的な能力が、ますます重要になっています。
ー意識的にポータブルスキルを磨くためには、どのような視点や行動が必要ですか?
まずは、日々の業務を「自分のタスク」として完結させないことです。「この仕事は、次に誰の役に立つのか」「このデータは、どんな判断に使われるのか」と、一つ先の工程を想像してみてください。
もし次の担当者が忙しそうなら、少しだけ見やすく整える。それだけでも、「一緒に働きたい人」という評価は積み上がっていきます。特別な研修や資格がなくても、日常の仕事の中で「相手のために一歩踏み込む」意識を持つことが、最も効果的なトレーニングになります。
◆七野綾音(しちのあやね)キャリアカウンセラー/キャリアコンサルタント
やりがいを実感しながら自分らしく働く大人を増やして、「大人って楽しそう!働くのって面白そう!」と子ども達が思える社会を目指すキャリアカウンセラー/キャリアコンサルタント。