大河ドラマ「べらぼう」第43回は「裏切りの恋歌」。「べらぼう」では吉原遊郭の煌びやかな面と陰惨な面の両面が描かれています。遊郭の主人(忘八)の遊女に対する酷い仕打ちも話題になってきました。遊郭の主人の横暴に対し、遊女たちはなす術はなかったのでしょうか。いや、そんなことはありません。暴虐な遊郭主人に果敢にも対抗した遊女らもいたのです。
江戸時代後期の遊女屋の主人に梅本屋佐吉という者がおりました。佐吉は新吉原において遊女屋を営む者です。この佐吉は抱えていた遊女を「非道」に召し仕っていました。普段、遊女らに出す食事は「芋殻」「豆腐殻」「草箒の芽出しと実、葉」を混ぜて雑炊にした粗末なもの。それを1日に2度しか与えなかったと言います。3度与えることはなかったのです。汁には一掴みほどの味噌が入れられ、後は塩が多く投入されました。それを遊女に啜らせたのです。当然、遊女は腹を満たすことはできません。
ではどうしたのか。仕方なく「身銭」を切って食べ物を買い整えたのです。佐吉は遊女たちに「折檻」を加えてもいました。その折檻の仕方も酷く「髪部屋」と呼ばれた部屋で行われました。その部屋の鴨居に折釘を打った上で、遊女を細引縄で縛り上げます。そして縄の先を前述の釘へ掛けて遊女を吊り上げ、鳶口(鉄製の穂先を長い柄の先に取り付けた道具。江戸時代においては消防作業で用いられた。鳶口で周りの建物を引き倒し、延焼を食い止めたのである)にて背中や両股を「廻し打ち」にしたのです。
酷い拷問により、遊女の身体には縄の痕や腫れが残りました。このままでは主人・佐吉に責め殺されてしまうと感じた遊女らはついにある行動に出ます。嘉永2年(1849)、遊女16人は共謀し自らが働く梅本屋に放火し、主人・佐吉の非道を公儀に訴えたのです。悪事が露見した佐吉は財産没収の上、遠島。一方「放火犯」の遊女らは死罪を免じられますが、首謀者は遠島、その他は押込となったのでした。放火によってしか公儀に訴えることができなかった遊女らの苦衷が哀しみを誘います。
(参考文献一覧)
・北小路健『遊女 その歴史と哀歓』(人物往来社、1964年)
・小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)