「ウルトラマン」シリーズなど数々の特撮テレビドラマを生み出した円谷プロダクションが、ヒーローや怪獣が出てこないコメディドラマを制作していたことをご存じだろうか。1970年1月から3月までTBS系で放送された30分枠ドラマ「独身のスキャット」だ。今秋出版された著書「ヒロインの追憶 ウルトラの絆」(立東舎)で同作に触れた出演女優の桜井浩子に舞台裏を聞いた。(文中敬称略)
高級マンションに住む主役のサラリーマン・貫一(なべおさみ)が経済的に困窮し、従兄のタクシー運転手(ミッキー安川)の誘いで始めた「客に時間制で部屋の鍵を貸す」という商売をめぐるドタバタ劇。 大原麗子が隣室に住むクラブホステス・あやめを演じ、貫一への家具のローン取り立てで頻繁に顔を合わせる中で互いを意識するようになるOL役に柏木由紀子。あやめのパトロンである会社(貫一の勤務先)社長に千秋実、ゲストに青島幸男、応蘭芳、石立鉄男、左卜全、山本陽子、5代目柳家小さんら多彩な顔ぶれが続き、野沢那智がナレーターを務めた。
放送当時23~24歳だった桜井は同局系の「ウルトラマン」(66~67年)で科学特捜隊のフジ・アキコ隊員を演じた後、特撮の枠を超えて活躍中だった。同作では全11話中、大原が不在だった第3、7、8、9話の計4回で留守番の友人・あやのとして代役的に出演。09年に62歳で亡くなった同い年の大原を偲んだ。
「勘が良くてボーイッシュで魅力的な人でしたね。その後、時代劇の仕事で京都の東映撮影所でばったり会ったことがありました。その時の私は女優を辞めようかなと思っている時で、麗子ちゃんは超売れていたんですけど、『ヒロコちゃ~ん』と気さくに声をかけてくれて一緒にご飯を食べました。『冷や奴食べる?』なんて言いながら(笑)。すごく性格がいい人だなと思いましたね」
さらに、自身の登場回を振り返った。
第7話では貫一の部屋で「ドリフのズンドコ節」に合わせて数人でゴーゴーダンスを披露。「当時、赤坂や六本木で楽しく遊んでいました。赤坂では高田賢三さん、コシノジュンコさんらファッショナブルな人が来られていた有名なディスコ『MUGEN』にも行きましたが、入場料が高いので、もう一つの『破麗破霊(ハレハレ)』という店に行っていました。顔パスで。そこではマムシ(毒蝮三太夫)さんに連れて来られた立川談志さんをはじめ、柳家かゑる(5代目鈴々舎馬風)さん、(5代目)三遊亭円楽さんらが着物姿で踊ってましたよ。そんな経験もあったので、踊りのシーンは楽々こなせました(笑)」
第8話では、おでんの屋台で酔っ払いながら、なべに絡む場面を熱演。「でも、飲んでいたのはお水です。私的には本物の日本酒でもよかったんですけどね(笑)。おでん屋のおやじさん役が牟田悌三さん(※翌年から同局系「ケンちゃんシリーズ」の父親役)で、私の演技をじっと見つめておられたのが記憶に残っています」
第9話では娘(悠木千帆、後の樹木希林)の様子を見に山形から上京した父役の伴淳三郎と共演。「なべさんはアドリブが多く、受ける方の私は覚えていたセリフが飛んでしまったりして大変で、伴淳さんもそうなのかなと思っていたら、アドリブは一切なし。むしろ『て、に、を、は』まで、きっちりセリフを確認して覚えられる几帳面な人でした。私の衣装は自前で、手編みしたシルバーグレーのベストを着ていたんですが、数年後、時代劇の仕事を終えて京都の松竹撮影所を出る時に伴さんとバッタリ会って、『キミはネズミ色のチョッキの子だろ?』と覚えてくれていた。そのままハイヤーに乗せられて祇園のお茶屋に連れて行ってくれました」。昭和を代表する喜劇俳優を懐かしんだ。
桜井の初登場シーンは、第3話で蛇口が壊れて湯があふれる浴室からバスタオルを巻いて飛び出してくる姿だった。この回を含め、2~4話には音声がなく、13年に初ソフト化されたDVDには台本付きの無音状態で収録されている。セクシーな女性のシルエットが登場するオープニングタイトルをはじめ、健康的なお色気シーンも散りばめられている。
桜井は「円谷英二さん(70年1月に68歳で死去)最後の監修がこの作品というのも不思議な感じがします。(長男)円谷一さんはTBSを退社して円谷プロ代表として最初のプロデュース作で、こういう作品を作りたかったんだなと思いますね」と指摘した。
55年の月日が経った。桜井は「当時、『独身のスキャット』というタイトルだけで私の脳内は『?』マークでいっぱいになりました。でも、年月を経た現在、改めて観てみると『演出家/円谷一』としてのドラマ創りの方向性、つまり『円谷プロはウルトラマンだけではないのだ!』との意気込みが感じられる作品、それが本作だったのではないかと思いました」と総括した。