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橋幸夫さん死去で回顧 「ザ・ぼんち」「あまちゃん」…時代とリンクした柔軟性と「リズム歌謡」の革新性

北村 泰介 北村 泰介
82歳となった今年5月、ステージで歌った橋幸夫さん。生涯現役を貫いた=神奈川県内
82歳となった今年5月、ステージで歌った橋幸夫さん。生涯現役を貫いた=神奈川県内

 「いつでも夢を」「潮来笠」などのヒット曲で知られる歌手の橋幸夫さんが亡くなった。82歳だった。2016年の下半期(7~12月)にデイリースポーツ紙面で連載した橋さんコラムの取材に立ち会ったことがある。橋さんとリンクする「ザ・ぼんち」「あまちゃん」といったキーワードを投げかけ、本人から返ってきた言葉と共に、日本の大衆音楽史において革新性のあった「リズム歌謡」という功績を振り返った。(文中一部敬称略)

 橋さんは1960年代に時代の寵児(ちょうじ)となり、その後も何らかの形で世の中に爪跡を残してきた。

 70年代は萬屋錦之介主演の日本テレビ系時代劇「子連れ狼」シリーズの第3部(76年)で橋さんが歌った主題歌の冒頭フレーズ「しとしと、ぴっちゃん~」がお茶の間に浸透。80年の漫才ブームでは「ザ・ぼんち」によるモノマネによって〝元ネタ〟を知らない世代にもリバイバルした。

 ぼんちおさむが首を傾け、口元を寄せながら「潮来笠」を歌って「あれ~?」と首をかしげるポーズだ。橋さんは翌81年に食品会社のテレビCMで「あれ~?」という〝ぼんちがマネをする橋幸夫をマネする橋幸夫〟を演じ、見事に自己パロディー化している。

 そのことについて聞くと、橋さんは「ザ・ぼんちに『そんなに、俺、首曲げてる?』って聞いたことがあったんです。そうしたら、彼らに『曲げてますよ』って言われたりしてね」と笑った。さらに「その後、僕のモノマネは清水アキラ君がされるようになっていきます。モノマネされるってことは結構ありがたいというか、うれしいことなんですよね」と付け加えた。

 モノマネの〝縁〟は21世紀にもつながった。

 2013年前期(4~9月)放送のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」に、橋さんは本人役で出演。宮本信子演じるヒロインの祖母が娘時代に地元で会い、憧れた歌手・橋幸夫と数十年ぶりに再会する設定で、同年8月に放送された。

 橋さんは「あの時は(昭和を代表するスターとして)そういう扱いをしてくれたんですね。清水アキラ君の息子さんである良太郎君が僕(回想シーンでの若き日の橋幸夫)の役をやられて、親子2代のモノマネということになったわけです」と振り返った。

 「あまちゃん」を書いた人気脚本家・宮藤官九郎の琴線にも触れた「橋幸夫」という存在は、世代を超えて生き続けていた。

 歌手として64~67年に連発した「リズム歌謡」という先進的な取り組みでも知られる。「ゼッケンNO.1スタートだ」「恋をするなら」「チェッ・チェッ・チェッ(涙にさよならを)」「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」、メキシコの民族音楽と米国のジャズやロックと融合した〝アメリアッチ〟のリズムを取り入れた「恋と涙の太陽」、代表曲の一つとなる「恋のメキシカン・ロック」などだ。

 そんなリズム歌謡に特化した「スイム!スイム!スイム!」というタイトルの8曲入りCDが90年に発売されていた。プロデュースした「厚家羅漢」なる人物はミュージジャン・大滝詠一氏(13年死去、享年65)の筆名。同氏は自ら執筆したライナーノーツの解説文で「サーフィン、ホット・ロッド、スイム、アメリアッチと、当時の流行のリズムを片っ端から取り入れオリジナルを発表しました。これほど一時期に、意図的にこのようなことを行なったのは歌謡史上非常に稀です」と評している。

 ビートルズの来日(66年)と重なる時期だが、当時10代だった世代の著名人から「〝ビートルズ世代〟と言われても、実際に周囲で同年代の者が聴いていたのは(例えば)橋幸夫」という証言があるように、その団塊世代である大瀧氏にとっても原点回帰の仕事だったのだろう。リズム歌謡は演歌や歌謡曲の〝王道〟に対する〝裏面〟的に世間では捉えられがちだが、橋さんにはその両面が矛盾なく共存していた。

 作曲者である恩師・吉田正氏(98年死去、享年77)について、橋さんは「先生が時代の変化を読んで見抜いて、計算ずくで僕をプロデュースしてくれました。股旅もの、青春歌謡、リズム歌謡。世相でいえば、68年のメキシコ五輪前年に『恋のメキシカン・ロック』も作っていただきました」と取材時に証言していた。

 スタッフの〝戦略〟も積極的に受け入れた橋さん。後に幅広いジャンルの表現者から注目され、モノマネやドラマのキャラクターになった背景にはそうした柔軟性に裏打ちされた魅力があったのだと感じた。

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