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釜本邦茂さんが政界で〝再会〟した田中真紀子氏の言葉 森喜朗氏の口説き文句は?吉永小百合の思い出も

北村 泰介 北村 泰介
2011年11月、記者のインタビューに応じる当時67歳の釜本邦茂さん。その席で野球に対する思いも語った=大阪市内
2011年11月、記者のインタビューに応じる当時67歳の釜本邦茂さん。その席で野球に対する思いも語った=大阪市内

 日本サッカー界が生んだ不世出のストライカーで、8月10日に81歳で亡くなった釜本邦茂さんは1995年から2001年までの6年間(1期)、参院議員を務めた。政界を去ってから10年後、当時67歳だった釜本さんにサッカーの話だけではなく、政治について聞く機会があった。その中で明かされた出馬の経緯や出会いなど、印象深いエピソードを振り返った。

 釜本さんはJリーグ・ガンバ大阪の監督を辞任後、早大の先輩である自民党の森喜朗氏からのオファーを受けて95年7月の参院選に出馬し、比例当選した。出馬の決め手は、〝サッカー人〟として悲願であるワールドカップ(W杯)の日本招致に「直接動ける」ということだったという。

 「森さんは僕より7つ年上のラグビー部出身で、早稲田の体育会OBをまとめていたような人でしたからね。そういう人に『選挙に出ろ』と言われて、簡単には断れなかった。正直、政治の世界なんて全く分からないもんね。ただ、森さんの口説き文句の中でも『W杯を日本に招致するのに、サッカー協会の一役員としてよりも、国会議員として活動する方がやりやすい。海外に行くにしても、議員でいる方が相手の国に入りやすい」と言われたことが、僕の心を動かした。2002年のW杯開催という目標を思うと、森さんの言葉には説得力がありました。ここは1回、やってみよか…と」

 政治家をリタイアした翌年、日韓共催という形でW杯は開催される。その一歩となった95年の初当選時は自社さ連立政権の時代。国会には早大キャンパスで同じ時代を過ごした田中真紀子氏(当時は自民党の衆院議員)がいた。

 「初対面やと思ってたんやけど、彼女の言い分によると“再会”やったらしいですよ。真紀子さんは言うんです。『釜本さん!あんた、早稲田のキャンパスで何回も顔を見かけたけど、私に声もかけてくれなかったわね!!私なんか、ずっと羨望(せんぼう)のまなざしで、あんたを見てたのに…』って(笑)。僕は『言うてくれたら、よろしいやん。僕も声かけましたのに』と答えて、それから、お互い議員として、よくお話しさせてもらいましたよ」

 田中氏は釜本さんと同じ1944年生まれだが、1月生まれで1学年上だった。在学中、学内の劇団で演劇に打ち込んでいたが、田中角栄元首相の娘であっても、まだ世に出る存在ではなく、早大2年時に日本代表として東京五輪に出場した釜本さんの知名度を同世代として実感していたからこそ、「羨望のまなざし」という言葉を投げかけたのだろう。

 ちなみに、当時のキャンパスには日活のトップスターだった女優・吉永小百合がいた。

 「吉永さんは(45年の)早生まれで学年は同じなんですけど、大学には僕の1年後に入学された。すごい話題やったですね。馬術部に入部したということで早朝から練習を見に行きましたよ。僕らア式蹴球(サッカー)部の練習は午後からやからね。吉永さん、馬を引っ張って歩いてはりました」

 そんな学生時代の思い出も懐かしんだ取材は11年11月、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙が行われていた渦中に地元で行われた。選挙の争点となった大阪維新の会が掲げる「大阪都構想」について、異なる立場から忌憚(きたん)のない意見を述べた言葉が耳に残っている。

 現役引退後は関西テレビ製作による土曜朝のワイドショー番組「モーニングショー・シュートinサタデー」(86年10月~87年3月放送)の司会を務め、毎回、ゲストを迎えてトークを繰り広げた。また、食品会社のCMでもテレビに露出した。サッカーという競技の枠に収まらない活動によって、サッカーを知らない人にも知られていた。

 一度、余談としてプライベートの話を聞いたことがある。釜本さんは「いろいろ、あらぁね」と、大好きな時代劇ドラマのようなセリフと共にニヤリと笑った。そんな人間味のある人でもあった。

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