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大河ドラマ「べらぼう」吉原は「夜の街」ではなかった?意外な元吉原の歴史とは 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(freehand/stock.adobe.com)
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 大河ドラマ「べらぼう」第29回は「江戸生蔦屋仇討」。吉原(遊廓)と言えば「夜の街」とのイメージが強いですが、かつては夜間営業は禁止されていました。寛永17年(1640年)、徳川幕府は遊廓の夜間営業を禁止したのです(昼間の営業に限定された)。幕府がなぜ夜間営業を禁じたのか、詳しいことは分かっていません。元吉原(現在の東京都中央区日本橋人形町)は元和4年(1618年)に開業しますが、当初、周囲は発展していませんでした。ところが開設から時が経ち、寛永年間ともなると周囲には町家が立ち並ぶようになります。そうなると風紀や治安の問題が出てきてもおかしくはありません。幕府は風紀・治安上の問題からそれまで認めていた遊廓の夜間営業を禁じたのでしょう。当時の遊廓の客は大半は武士であり、旗本などへの奢侈禁止令と遊廓の夜間営業禁止を結び付ける見解もあります。

 寛永17年(1640年)、幕府は倹約の令を守り、軍役の備えを専らとし「私の奢侈なすべからず」こと「驕奢の風習を厳禁すべき」ことを命じています。
それはともかくとして、夜間営業の禁止は遊廓の経営者にとって打撃だったことは想像に難くありません。吉原遊廓が夜間営業を許可されるのは、新吉原(東京都台東区千束)に移転(1657年)する際のことになります。

 さて、遊女町が置かれた元和年間、遊女の町売り(遊女の出張・派遣)は禁止されますが、遊女の外出は自由でした。吉原遊廓と言えば、遊女は死ぬ時以外には外に出られない、外出制限が厳しいとのイメージですが、当初はそうではなかったのです。遊女は外出自由でしたので、神社仏閣へ参詣することもありましたし、その途中に知り合いの者の家に立ち寄り「馳走」にあずかることもありました。しかしそうなると、禁止されていた町売りと紛らわしくなる。そうした事もあって、庄司甚右衛門(吉原遊廓の創設者として有名)の申請により、遊女の外出は禁止されることになったのです。

 (主要参考・引用文献一覧)
・東京都台東区役所『新吉原史考』( 東京都台東区、1960年)
・小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)

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