スライ&ザ・ファミリー・ストーンのフロントマンであったスライ・ストーンさんが死去した。82歳だった。呼吸が困難になる慢性閉塞性肺疾患(COPD)を患っていたというスライさんが、「安らかに眠りについた」ことを遺族が発表した。
1950年代初めに弟や妹3人とゴスペルグループ「スチュアート・フォー」としてパフォーマンスを開始、1952年に地元でシングルをリリースした。1966年には弟のフレディと互いのバンドを合体させる形で「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」を結成、翌年にデビューアルバム「新しい世界」をリリース、「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」「エヴリデイ・ピープル」「サンキュー」など数々のヒット曲を世に送り出した。その中でも1971年発表のアルバム「暴動」は20世紀最高のアルバムの1つと数えられている。
1975年に薬物問題やメンバー間の衝突が理由で活動を停止。スライさんはその後、さまざまなメンバーとレコーディングやツアーを行ったが、薬物問題により、音楽活動は下火となっていった。
スライさんの公式インスタグラムには2024年8月に撮影したという近影も掲載。スライさんが南カリフォルニア在住で、薬物中毒から脱したことも報告。「週末に子供や孫が彼を訪ねてきます」ともつづっており、穏やかな老後を過ごしていることを伝えている。