英・ネス湖での未確認生物「ネッシー」の探索(1973年)やアントニオ猪木とモハメド・アリによる「格闘技世界一決定戦」(76年)など、型破りな企画を相次いで仕掛け、「伝説の呼び屋」と称されたプロデューサーの康芳夫氏が2日に群馬県高崎市内の病院で老衰のため死去したことが3日、分かった。87歳だった。関係者がよろず~ニュースの取材に対して明かした。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定という。
康氏は1937年、中国人の父と日本人の母との間に東京で生まれた。東大在学中に出会った作家・石原慎太郎氏の橋渡しで62年に興行界入り。60年代は富士スピードウェイでの「日本インディ」開催、米ジャズサックス奏者ソニー・ロリンズや英歌手トム・ジョーンズの来日公演、72年には日本武道館でアリ対マック・フォスターの世界ヘビー級15回戦(ノンタイトル戦)といった〝王道〟的な仕事を実現した。
その後、「虚業家宣言」をして方向転換。政界に進出していた石原氏を総隊長とした「国際ネッシー探検隊」、総合格闘技の源流ともなったアリVS猪木戦(日本武道館)、さらにはチンパンジーと人間の中間に当たる未知の生物〝ヒューマンジー〟と称した「オリバー君」を76年に米国から招へいし、テレビ局とのタイアップで大ブームを巻き起こした。79年には猪木氏と会見に同席してウガンダでの「猪木対アミン大統領」戦を発表。内戦によるアミン亡命で計画は消滅したものの、大きな話題になった。
「虚業家」を自称した康氏。虚構と現実の挾間に〝真実〟や〝旨味〟を見いだす「虚実皮膜」の世界観を興行の裏方として繰り広げた。また、作家の三島由紀夫氏が絶賛したことでも知られ、作者不詳で〝奇書〟と称されている小説「家畜人ヤプー」の全権代理人を務めた。
2010年代は俳優として映画やテレビドラマにも出演。20年代も若い世代のクリエイターたちに支えられてYouTubeチャンネル「康芳夫×虚霧回路」の配信やイベント出演などを続けていた。
22年10月、猪木氏の死去を受け、康氏は当サイトに対して「僕の人生の半分は猪木君と共有した部分があった。僕の人生において、とても重要な友達を失った寂寞(せきばく)たる思い、孤立感を覚えている。アリも6年前に亡くなった。そして、猪木君も亡くなって、いよいよ僕1人になってしまったので、寂しい気持ちはありますね」と喪失感を吐露していた。