2024年の「釜山国際映画祭(BIFF)」も、やはり批判の声が上がった。映画館と配信サービス、そして映画祭。これらの関係をどう見るべきだろうか。韓国メディアMHNスポーツの記事を引用して紹介する。
10月2日に開幕した「第29回 釜山国際映画祭」は11日、10日間にわたる開催を終えた。
映画祭側は、「公式選定作品278本(コミュニティーBIFF54本を含む)が、全633回にわたって上映され、昨年より増加した座席利用率84%と、総観客数14万5238人を記録した」と発表。また「300本以上の作品を上映していたコロナ以前と比べても、歴代最高の座席利用率」と評した。
数字を見れば、成功したかのように思えるが、その背景をのぞいてみると、果たして成功といえるのか、疑問が湧いてくる。まずは、映画祭の意義を果たせているのかを問う。
最も目立ったのは、10本にも満たない配信作品による、強大な影響力だった。
“映画祭の顔”となる開幕作品には、Netflixオリジナル映画「戦と乱」が選定された。配信作品が「釜山国際映画祭」の開幕作品となったのは、今回が初めてだ。配信ではなく、インディーズ映画や低予算映画の中から、才能のある作家を発掘して紹介するという、「映画祭の本来の趣旨にそぐわない」「大規模商業映画である」という批判が少なくない。
執行委員長代理であるパク・トシン氏は、開幕記者会見で「完成度がとても高く、観客にぜひ紹介したいと思った」と、選定理由を明かし、批判に対しては「インディーズ映画の発掘という、映画祭の基本は変わらない」と答えた。
「釜山国際映画祭」は、2021年から配信サービスで公開予定のシリーズ作品を上映する「オンスクリーン」セクションを開設。
今年は、Disney+の「江南Bサイド」、TVINGの「私が死ぬ一週間前」「良いが悪い、ドンジェ」、Netflixの「地獄が呼んでいる」シーズン2(以上、韓国)、「スポットライトは私のもの」(台湾)、「さよならのつづき」(日本)の6本が選定された。これらの作品では、劇場上映はもちろん、オープニングトーク、野外舞台あいさつなど、観客に向けたさまざまなイベントが行われた。
映画の消費トレンドが、映画館から配信へと移り変わっているのは、時代の流れだ。これに合わせて、映画祭でも配信作品を上映することは、特段非難されるべきことではない。むしろ、映画祭を通して、映画館の大きなスクリーンで観られるという点で、相乗効果が生まれることもある。
結局、問題となるのは、配信作品の過度な宣伝や、シリーズ物の進出だ。これは「戦と乱」への批判にも通じる。「映画祭本来の趣旨にそぐわない」という指摘だ。
実際、今回の映画祭期間中、釜山のあらゆる所で、配信作品の広告が散見された。会場である映画の殿堂はもちろん、海雲台(ヘウンデ)の海周辺に「江南Bサイド」や「戦と乱」、「地獄が呼んでいる」シーズン2などの大型ポスターが目についた。それに比べて、映画祭の開催を知らせる小さな垂れ幕は、かなりスケールが小さく感じられた。
またNetflixは、映画の殿堂の向かい側にあるカフェに、記念品やフォトスポットブースを設けたり、イベント「Next On Netflix:2025韓国映画」やフォーラムを開催したりするなど、さまざまな所で影響力を発揮。
そんな状況に「映画祭が、配信サービスの宣伝の場になっているのでは」という不満の声が上がるのも自然なことだ。「釜山国際映画祭」ではなく、「Netflix映画祭」「配信サービス祭り」であるという皮肉が聞こえるのも、当然のように思える。
映画祭側は、今回の決算を終え「オンスクリーンセクションだけでなく、全ての作品が均等に注目された」と言及。278本中、たった「9本」の枠を割いただけで、これだけの批判を受けたのだから、反論したくなるのも無理はない。
ある映画関係者は「配信作品の数自体は少ないが、企業側が映画祭でのプロモーションに力を入れているため、どうしても目立って見える。映画祭側としては、どうしようもない部分もあるのでは」と、映画祭に理解を示す反応を見せた。
配信サービス企業の、宣伝に対する意欲が問題なのだろうか。否、彼らは映画祭から提供された機会を、積極的に活用しただけだ。利益を追求すべき企業が、映画祭のイメージのことまで配慮する必要はない。
では、このまま「時代の流れ」を受け入れなければならないのだろうか。
当然、映画祭にも配信サービス企業にも、それぞれの事情があるだろう。外部の批判をすべて受け入れることが正しいとも言い切れない。しかし、ひとつ確かなことは「釜山国際映画祭」が30周年を目前にした今、今後の方向性について深く考える必要があるということだ。
本来の趣旨に沿って進められているのか、変化を与えるとしたら、どういった方向性にすべきか。映画館と配信、インディーズ映画と商業映画が共生していけるのか。そうしてアジア最大、最高の映画祭としての自負心を守っていくべきではないだろうか。