漫画家・中森愛さん急逝から1年、親戚17人で同人活動継続へ 双子の兄、漫画家・五藤加純さん「実感はまだ」

山本 鋼平 山本 鋼平
コミケ103で頒布された五藤加純さん、中森愛さんの同人誌
コミケ103で頒布された五藤加純さん、中森愛さんの同人誌

 漫画家仲間であり、一卵性双生児の弟でもある中森愛さんが23年11月に心筋梗塞のため67歳で急逝してから丸1年を迎えようとしている。今夏に「お別れ会」の名で展示会を開催した兄・五藤加純さんは「まだ実感はわいてません。ある日突然目の前に現れても違和感がないような」と語った。

 今年8月に東京・池袋で「お別れ会」を開催。会場には中森さんの生原稿、単行本のカバー、パネル等が展示された。学生時代の同人誌、漫画を描き始めるきっかけとなった吾妻ひでお作品が掲載された雑誌からの切り抜き本、愛用の定規やヘルメット、手袋、Tシャツなどの遺品も並んだ。五藤さんは「お別れ会というか、展示会でしたね。展示品は中森愛の活躍した1980~90年代が中心です」と振り返った。

 中森さんと親交があった漫画家の火野妖子(堀内満里子)氏が来場し、同ジャンルのレジェンドである内山亜紀氏からは供花が届いた。両者と谷口啓氏からは追悼本への寄稿が実現。漫画ミニコミ誌「漫画の手帳」の藤本孝人さん、中森さんのアシスタント経験を持つ五藤さんの大学漫研後輩らが会場に訪れた。「この後輩のスマホが急に鳴り出し、数秒ですが会場に中森明菜の曲が流れました。中森愛も好きだった曲で『エッ!中森愛降臨か?』となりました。少々やかましかったけど聴き入ってしまいました」と印象深い出来事を挙げた。台湾から駆けつけた人もいたという。

 五藤さんは1982年にデビュー。「漫画大快楽」「漫画ブリッコ」等で90年代にかけ、美少女コメディ作品を発表。中森さんも同じ作風で、翌年にデビュー。五藤さんは「移動性高気圧」がヒット。兄弟ともデビュー前からコミックマーケット等で同人活動を行っていた。商業作品は絶版本を扱う電子書籍サイト「マンガ図書館Z」において、五藤さんの「移動性高気圧」「猫よりたいへん♥」、中森さんの「レモンSOS」「もしかして愛かしら」などが配信されている。

 中学2年生の時、五藤さんは中森さんと一緒に漫画創作を開始した。初期の藤子不二雄のような合作ではなかったが、ともに吾妻ひでお作品から大きな影響を受けた。五藤さんが「別冊マーガレット」「花とゆめ」などに投稿していた学生時代を経て、会社勤めをしていたころ、当時は「漫画大快楽」(檸檬社)の編集者だった中森さんからの依頼で作品を描き上げ、1982年2月に同誌増刊号に掲載された「ああ快感!」でデビューした。檸檬社は同年夏に倒産。中森さんは編集者の勉強のため自ら作品を描き、翌年にデビューしたところ、そのまま作家活動に突入した。別名義ながら、ふたりは美少女コメディを描くようになった。

 生前の中森さんを「顔も性格もよく似ていると言われましたが、僕から見たら自由奔放な弟でした。漫画も僕は真面目な方に走るのですが、弟は絵柄も内容も自由でした」と語る五藤さん。今回のお別れ会は大変だったというが「スタッフの甥、姪、うちの子らも準備から力を合わせてよくやってくれました。なかなか賑やかで楽しいお別れ会になりました」と満足そうな様子だった。

 お別れ会を手伝った親族は、同人活動を行う、創作仲間でもある。実に18人の親族が同人活動に関わってきた。その活動名と血縁関係の内訳は次の通りだ。

1)中森愛(五藤加純の双子の弟)
2)わらしちゃん(中森愛の妻)
3)ちよこね(中森愛の長男)
4)すずき鮭(中森愛の次男)
5)五藤加純
6)霧ん(五藤加純の長男)
7)chihiro(霧んの妻)
8)ごんちち(五藤加純の妻の姉の夫)
9)我梨嶺翁(五藤加純の姉の夫)
10)高世えり子(我梨嶺翁の長女)
11)飼い猫(高世えり子の夫)
12)高世ハルカ(高世えり子の長女)
13)高世カオル(高世えり子の長男)
14)ともちゃん(我梨嶺翁の次女=高世えり子の妹)
15)あこちゃん(ともちゃんの長女)
16)マサキン(ともちゃんの長男)
17)大おばあちゃん(またの名を田奈部隊のやこちゃん=中森愛と五藤加純の母)
18)野々倉(中森愛の母の兄弟の孫)

 五藤さんは4人きょうだいの3番目で末っ子が中森さんになる。同人誌「一族本」の第1号は2002年8月に作成。五藤さんは「元々高世えり子ら従兄弟同士の仲が良よく、私も各人が何をやってるかよく知らなかったのですが、特に親族で何かしようということもなく、単純に『同人誌を作りたいね』という輩が集まったら全員親族だった、ということらしいです」と説明した。「『一族本』は作りたいという人が“この指止まれ”と呼びかけて始まるので、次はマイナス1で続けると思います。仲の悪い親戚関係も多いと言われる中、うちの一族は面白いなと思っています」と続けた。中森愛さんと二人で作成していた同人誌「二人でロリコメばかり描いていた」シリーズについては「誌名を変えず中森さんの過去絵を混ぜて私だけで続けようかな」と明かした。

 現在は年金、アルバイトで生計を立て、中森さんの遺作をマンガ図書館Zで配信すべくデータ作りに励んでいるという五藤さん。「悠々自適とはいきませんが、ま、中森さんの分も長生きしようかな」と語った。なお、最年長である五藤さんの母、大おばあちゃんは6月に98歳を迎え「耳が少し遠い以外は元気で一人で歩いたりできますし、頭もハッキリしております。カラオケにも行きます」という。

 中森さんの死去に対しては「まだ実感はわいてません。何でかな、と考えたら追悼本で元アシスタント氏が『中森愛先生が突然いなくなって「らしいと言えばらしい」』と書いていましたが、中森はけっこうマイペースな人間で、死ぬときまで突然いなくなり、私もあまりに中森愛らしいから実感がわかないのかな、と思いました。ある日突然目の前に現れても違和感がないような」と心境を明かした。改めて中森さんの存在を質問すると「今も昔も、ただ同い年の兄弟です」と前置きした上で「まあ、いなくなって思うのは、気が合うというか気の置けない存在でした。例えばSNSに書けないような、つまんないことや過激なことを思いついても、もう伝える相手がいない」と寂しさを言葉にした。

 12月末のコミケには、中森さんの子息によるサークルに登場予定。来年2月のコミティアには、自らのサークル参加を目指すといい「この時までには『二人でロリコメ…』の新刊を出したい」と決意する五藤さん。双子の弟との“並走”は続きそうだ。

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