千葉真一さんの精神が反映された「サイン作法」相手の名を大きく自分は小さく 愛息・真剣佑への思いも

北村 泰介 北村 泰介
千葉真一さんの直筆サイン。記者の名前が右側に大きく書かれ、中央に「武士(もののふ)乃道」、自身の署名は左端に記されている
千葉真一さんの直筆サイン。記者の名前が右側に大きく書かれ、中央に「武士(もののふ)乃道」、自身の署名は左端に記されている

 国際的に活躍した俳優の千葉真一さんが19日に新型コロナウイルス感染による肺炎のため、82歳で死去した。記者は2012年6月2日夜、都内での宴席で隣り合わせになった千葉さんから武士道精神に貫かれた独自の「サイン作法」を披露され、また、その場に同伴していた芸能界デビュー前の長男・新田真剣佑にかける情熱を伝えられた。その一夜をプレーバックする。

 同年7月開幕のロンドン五輪を前に、現地で応援する「五輪おじさん」こと実業家の山田直稔さん(19年3月に92歳で死去)の壮行会を兼ね、俳優・伊吹吾郎さんの夫人が主催した宴(うたげ)でのこと。端正な顔立ちの少年を連れた千葉さんが少し遅れて会場入りし、山田さんの取材で参加していた私の隣に座った。まさかのサプライズに舞い上がった。

 平静を装って名刺を渡し、こちらがメディア関係者であることを伝えると、千葉さんは「私の息子で『マッケンユー』と言います。15歳です」と愛息を紹介。その名前表記に一瞬、戸惑った記者の表情をくみ取った千葉さんは「マコトの真、ケン、ツルギの剣、真剣ですね。それに、天佑の、ニンベンの佑…です」と補足し、記者が手元のノートに「真剣佑」と書くと、「そうです、そうです」と目を細めた。「海外の映画に出演は決まっていますが、今後は日本で本格的に活動していきますので、応援よろしくお願いします」とアピール。畑違いのスポーツ担当記者にまで訴える父親の情熱を感じた。

 その後、千葉さんは真剣佑を連れて全席をあいさつ回り。ひと段落してからタイミングをうかがい、個人的にサインをお願いした。

 芸能人のサイン。色紙にフェルトペンでサラサラ…というイメージだが、千葉さんは店のスタッフに毛筆と墨と水を所望した。毛筆と墨はなく、筆ペンとなったが、千葉さんは小皿の水にペン先を入れてほぐすと、色紙と対峙(たいじ)して目をつぶったまま、微動だにしなくなった。まさか、私ごときがお願いしたサインに精神統一しているのか?沈黙の時間が流れた。時間にして15秒ほどだったと思うが、「自分は今、世界のチバを独占している!?」と思うとおそれ多く、とんでもなく長い時間に感じたことを覚えている。

 千葉さんはカッと目を開くと、やにわに筆を走らせた。ただ、色紙に「千葉…」ではなく、私の名前を強い筆圧で大きく書いた。あっけにとられている内に、続いて「武士(もののふ)乃道」とふりがな付きで記し、最後に「千葉真一」と左端に書き止めた。その作法には「己よりも相手を立てて敬意を表する」という精神の反映を感じた。

 帰り際にも「真剣佑をよろしくお願いします」と言い残した千葉さん。翌年4月、記者は東京・高円寺で開催された浅草キッド・水道橋博士の主催イベントでもサプライズに遭遇した。芸人宣言した映画監督・園子温氏と実業家の堀江貴文氏がなぜかボクシングで対決するという企画に、千葉さんは出演映画「キル・ビル」(クエンティン・タランティーノ監督)のテーマ曲と共に「立会人」として登場。その神出鬼没ぶりに驚く一方、違和感なく受け入れられる部分もあった。

 役者としての実力はアクションだけにとどまらない。1970年代の東映作品を例にとると、むき出しの〝名言〟を連発した「仁義なき戦い 広島死闘編」(深作欣二監督)や「たっくるせ!(叩き殺せ)」の反復フレーズが鮮烈な「沖縄やくざ戦争」(中島貞夫監督)などにおける狂気から、「地獄拳シリーズ」(石井輝男監督)などでの笑いのセンスに至るまで、その引き出しの多さ、振り幅の大きさゆえに、どんな場所に現れても納得できた。

 80年代の学生時代に旅したインドのカルカッタ(現・コルカタ)で、たまたま暑さしのぎで入った映画館の大スクリーンを見上げるとサニー・チバが躍動しており、「世界中にチバちゃんはいる」と実感したことを思い出す。まして、今は映画もネット配信の時代。作品が残る限り、「千葉真一(サニー・チバ)」は時空を超えて生き続けると、9年前のサイン色紙をながめながら思った。いや、そう思うことでしか、コロナ禍で亡くなるという、やるせない気持ちを紛らわすことはできなかった。

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