宙を舞う「人間大砲」意外な正体…絵葉書に残る昭和のショー 当時20歳のドイツ人が日本各地で披露 

穂積 昭雪 穂積 昭雪
国産振興北海道拓殖博覧会での「人間大砲」絵葉書。動物のショーや曲芸が多く行われた
国産振興北海道拓殖博覧会での「人間大砲」絵葉書。動物のショーや曲芸が多く行われた

 主に観光地などで売られている絵葉書。日本における絵葉書の歴史は明治時代にまで遡るのだが、戦前期に発行された絵葉書には現代人の目から見ると「おや?」と思うような奇妙なものも多く発行されている。

 「人間大砲」と題された絵葉書もその一枚だ。黒く大きな大砲から白い煙がモクモクと湧きあがり、空中には人間と思わしき姿が写っている。つまりこの人間は大砲から打ち上げられた「砲弾」という事であろうか。

 「人間大砲」は令和の現在においてもバラエティ番組などで稀に見る機会はあるが、その場合はヘルメットや命綱などを装着しウレタンやマットを敷き詰めて怪我をしないよう配慮されている。だが、この絵葉書にはマットなどの安全対策が全く施されていないようにも見える。果たして、この宙を舞っている人は無事だったのであろうか…。

  この絵葉書には人間大砲の説明として「独逸人(ドイツ人)カアルライネルト氏」および「札幌市」の文字が確認できる。調べてみるとカアルライネルト(カール・ライネルト)氏というのは戦前期に日本に一時的にやってきた曲芸師だったようだ。

 朝日新聞の1930年(昭和5年)9月29日号に掲載された記事「砲撃一発 飛び出す人間」によると、カール・ライネルト氏は当時20歳の青年であり、この日は兵庫県神戸市で行われたイベント「観艦式記念海港博覧会」にて「人間大砲」の曲芸を披露していた。会場には戦艦の主砲よりも大きいという大砲が用意され、飛行機乗りの格好をしたライネルト氏が筒の先から大砲に乗り込むと「ズドン」という砲声とともにライネルト氏が20メートルの高さで打ち上げられ広場に張り出されたネットに着地する仕組みだという。

  資料によると、安全策として着地用のネットのほかヘルメットが用意されており、少なくとも神戸での公演中には大きな怪我はなかったようだ。この「人間大砲」は評判を呼び1931年(昭和6年)には北海道札幌市、1934年(昭和9年)には岡山県岡山市でもライネルト氏による人間大砲を実演したという記録がある。今回紹介した絵葉書は1931年に札幌で行われた「国産振興北海道拓殖博覧会」にて撮影された一枚と思われる。

 全国の博覧会で披露したことで「人間大砲」は新しい物好きな日本人の心を掴んだようで、1939年(昭和14年)には人気俳優の榎本健一(エノケン)主演の舞台『エノケンの人間大砲』なる舞台が作られている。

 なお、人間大砲はドイツやアメリカなどではそれなりにメジャーな曲芸ではあるが怪我や死亡事故が絶えない曲芸であるという。日本でも昭和時代に外国の曲芸師が遊園地で人間大砲を行った記録があるが、あまり定着はしなかったようだ。

 「人間大砲」の絵葉書は、戦前の日本人が奇妙な海外の曲芸をどう見ていたのか、よくわかる一枚である。

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース