高石ともやさん逝く 完走した第1回神戸マラソンで示した「ホノルル」への思い、震災被災地も世界に発信

北村 泰介 北村 泰介
市民ランナーとして数多くのマラソンレースに参加してきたフォーク歌手の高石ともやさん
市民ランナーとして数多くのマラソンレースに参加してきたフォーク歌手の高石ともやさん

 ヒット曲「受験生ブルース」で知られるフォーク歌手の高石ともやさんが病気のため82歳で死去したことが19日に報じられた。1966年に「かごの鳥ブルース」でデビューし、68年に「受験生ブルース」が大ヒット。60年代後半、岡林信康をはじめ、フォーク・クルセダーズ、中川五郎、五つの赤い風船、高田渡といった才能が京都に集結した音楽シーンにおいて、高石さんは〝関西フォークの旗手〟と称され、その現場をリードする存在だった。その一方、マラソン走者としても知られたが、記者はランナーとしての高石さんを取材する機会があった。

 2011年11月20日に開催された「第1回神戸マラソン」。翌年のロンドン五輪に向けた準備として、神戸を走るマラソン日本代表候補選手を取材することが目的だったのだが、その前日夜に神戸市内で行われた会見に足を運ぶと、ゲストランナーである高石さんの姿があった。

 68年メキシコ五輪銀メダリスト・君原健二さん、ケニアから駆け付けたソウル五輪銀メダリストのダグラス・ワキウリさんら〝レジェンド〟と肩を並べた高石さんは当時、古希を目前にした69歳。「70歳の誕生日(12月9日)翌日にホノルルマラソンに35年連続で出場します!たぶん泣くでしょう」と神戸を越えてハワイへの思いを吐露した。

 ホノルルマラソンには77年の初参加から毎回出場。16年(75歳)にはトロンボーンを吹きながら8時間18分50秒で完走。43回連続出場となった19年は78歳にして9時間38分53秒で〝完歩〟。コロナ禍で2年のブランクを経ても、22年に80代にして再挑戦した。ライフワークとなった「ホノルル」への思いは当時から強いものとして伝わった。

 話を13年前の神戸に戻そう。高石さんは「僕は9・11同時多発テロの時もニューヨークを走った。今回は『神戸』を世界中に伝える機会。震災のことを思いながら走る」と誓った。95年の阪神・淡路大震災から当時で16年が経過していたが、国際的な視野に立った「がんばろうKOBE」のメッセージを伝えた。

 神戸市役所前をスタートし、明石海峡大橋そばの舞子公園で折り返し、ポートアイランドでゴール…。現在も続く神戸マラソン(今年は11月17日開催)の記念すべき第1回のコースだ。70歳を目前にしていた高石さんは5時間13分24秒で完走した。それまで、国内外のマラソン大会だけでなく、トライアスロン、100キロマラソン、アイアンマン世界大会などに出場。まさに〝鉄人〟。さすがの健脚だった。

 高石さんには「自分をほめてやろう」という自作の曲がある。五輪女子マラソン2大会連続メダリストの有森裕子さんが高校時代、女子駅伝大会の開会式で出会った高石さんの言葉でもあり、その記憶が後に「自分で自分をほめたい」という流行語大賞にもなった96年アトランタ五輪での発言につながる。順位やタイムといった数字ではなく、市民ランナーとしての在り方を体現した高石さん。神戸で示した言動からも、それはひしひしと伝わった。

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