大相撲で外国出身初の横綱となった曙太郎さんが4月に心不全のため54歳で亡くなった。〝若貴兄弟〟の好敵手として空前のブームをけん引して頂点に立った角界時代、地上波で高視聴率をマークした格闘技のK-1挑戦は一般層の注目を浴びたが、プロレス界で奮闘していた姿もファンの脳裏に刻まれている。その中から、世界最大の米プロレス団体「WWE」、異彩を放った「ハッスル」について語った曙さんの言葉を紹介する。
曙さんは2003年のK-1転向後、格闘技戦を経て05年からプロレスに本格参入。そのスタートが、いきなりWWEだった。同年2月、さいたまSAでの来日公演でリングインして布石を作り、3月のヒューストン大会を経て、年間最大の祭典「レッスルマニア」(現地4月3日、ロサンゼルス)で巨漢・ビッグショー(213センチ、200キロ)と〝スモウマッチ〟で激突。リングのロープを外し、土俵を描いたシートを張って、マワシ着用で激突した。
記者はWWEの来日公演時、都内ホテルのエレベーターでビッグショーと2人きりになった経験がある。その体圧は相当なものだったが、曙さんは“リアル横綱”として豪快に相手の巨体を投げ飛ばした。
6年後、連載企画の取材で密着した都内のホテルで、曙さんはその試合と舞台裏を振り返った。
「(米マット界には)リキシとかヨコズナといった(相撲ギミックの)レスラーがいたけど、外国人はマワシの下にスパッツを履いていることが多かった。でも、ビッグショーは全く何も付けていなくて、相撲をリスペクトしていた。彼とはそれ以降、メールで何回もやり取りしましたよ。バックステージではスーパースターたちと交流した。ザ・ロック、スティーブ・オースチン、カート・アングル、ケイン…。バティスタには『相撲に興味があって、昔から見ていた』と言われてドキッとしたね」
さらにハルク・ホーガンからの〝ラブコール〟に言葉が弾んだ。「ホーガンさんに『アケボノ、東京ドームでやろうぜ!』って言われたよ。俺の〝親方〟武藤敬司さんから聞いたんだけど、ホーガンさんは90年代くらいまで来日していたから、巡業中には必ずテレビを探して大相撲中継を見てたらしい。実現するか分からないけど、ホーガンさんとやってみたいな」。現場でスーパースターたちにリスペクトされた曙さん。ハワイ出身者として「米本土」で認められる存在になったことに感無量だった。
ホーガンとの一騎打ちは幻に終わったが、新日本マットで元WWEヘビー級王者ブロック・レスナーが持つIWGP同級王座に挑戦するなど存在感を発揮した。一方で、「曙」という〝振り子〟は大きく揺れた。
07年8月18日、愛知県体育館。プロレスイベント「ハッスル」のリングに、曙さんはタレントのインリンが演じる「インリン様」と武藤の化身であるグレート・ムタの間に生まれた息子という設定の「モンスター・ボノ」として登場。衝撃の第一声は「バブ~ッ!」という赤ちゃん言葉だった。
「俺は『0歳児のボノちゃん』というキャラクターを演じたわけだけど、引き受ける時には迷いました。あそこまでやった背景には、いろんな葛藤があった。おしゃぶりしながら〝赤ん坊〟として出た時、初めてリングで『恥ずかしい』と思った。口では『バブ~ッ!!』とか言いながらね」
その思いも大先輩の言葉に救われたという。
「ボノちゃんとしての2戦目、まだ俺には迷いがあったから、控室で天龍源一郎さんに相談したんです。『ボノちゃんとか、どう思います?ここまでやっていいんですかね?』と。すると、天龍さんは『バカッ!』って言ったんですよ。『今までの曙ファンが10人減るかもしれないけど、ボノちゃんのファンを新たに50人作ればいいじゃないか』と。その言葉で初めて割り切ることができたんですね」
ボノちゃんになりきった曙さんに向け、会場から「元横綱の羞恥心はないのか!?」という野次が飛んだこともあったという。その時の心境を聞くと、曙さんは「シューチシン?ないよ、そんなもん。あの時、ボノちゃんをやったからこそ、仕事の幅も広がった。〝変なプライド〟がないからできた。〝本当のプライド〟があれば、どんなことでも100%打ち込める。だから0歳児のキャラをやり切ったんです」と胸を張った。
「天龍さんは視野の広い人。相撲からプロレスに転向して、すごい実績を挙げてこられた大先輩です。ボノちゃんのことも、天龍さんに言われて納得できました。感謝してます」
「プロレスって厳しいっすよ。ただ勝てばいいんじゃないんだから。勝ちながらも、相手の良さを引き出して、お客さんを納得させなければいけない。武藤部屋でそれを学んだ」
恩師である天龍と武藤に敬意を表していた曙さん。14日に都内で営まれた葬儀には、その二人からの花も飾られていた。