埼玉県東部が昔、沼だらけだったことを示す古地図がSNS上で大きな注目を集めている。
「かつての埼玉県東部は沼だらけ。(さいたま市立博物館企画展「鴻沼」展示パネルより)」
と件の古地図を紹介したのはいこ~さん(@e_ikuon)。
古地図は現在、さいたま市立博物館で開催中の企画展「鴻沼」で展示されているもの。江戸時代に干拓が始まる以前の埼玉県東部の沼や河川の配置を記したものだが、見渡す限りいたるところ沼だらけで驚かされる。
今回の投稿に対し、SNSユーザー達からは
「遠い昔、こちらは海だったのでございます」
「暮らしにくい地域だったと思いますが、自然的には素晴らしい光景だったのでしょうね。
五霞とか宝蔵寺とか見覚えのある地名が…」
「1970年代に浦和で育ちましたが、窪地のような土地で地盤が悪かったです。近年住宅地ごと埋め立てられたそうです。今思えばもと沼だったのかもしれません。」
など数々の驚きの声が寄せられている。
いこ~さんにお話を聞いた。
ーー今回の展示に足を運ばれた経緯をお聞かせください。
いこ~:水路や水辺を歩くのが好きで、見沼代用水から分水してさいたま新都心付近の台地を横断して流れる「高沼用水」の歴史は以前から興味を持っていました。さいたま市の博物館のアカウントの投稿で企画展があることを知り、時間を見つけて訪ねました。
ーー埼玉東部にこれだけの沼があったということへのご感想をお聞かせください。
いこ~:地元でもあり、企画展のテーマの「鴻沼」や「見沼田んぼ」など、沼や湿地だったところを江戸時代に新田開発したということは知っていましたが、こうやって地図で表すと本当に沼ばかりで圧巻だなあと改めて思いました。
ーー投稿の反響へのご感想をお聞かせください。
いこ~:新田開発の企画展の展示の紹介だったのですが、これだけ沼だらけの地図を見て、今は宅地化されているかつて沼だった場所の地震や浸水の被害を心配する方が多かったです。これをきっかけにその土地の成り立ちに関心を持つ人が増えたらいいなあと思いました。
◇ ◇
その場所がかつてどのような地形であったかは国土地理院のサイト「地理院地図」で、地図の種類を、「土地の成り立ち」→「地形分類(自然地形)」と選択すれば確認することができる。「家を買ってから『ここはかつて沼だったのか』と後悔することがないように」といこ~さん。読者のみなさんもぜひ参考にされたい。
いこ~さん関連情報
Xアカウント:https://twitter.com/e_ikuon
地理院地図のサイト:(リンク)
鴻沼付近の自然地形:(リンク)