豊臣秀吉が織田信長に贈ったお歳暮 「好感度爆上がり」の理由!豪勢&気配りがポイント 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(clam/stock.adobe.com)
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 お世話になった人に対して「今年も1年お世話になりました」という気持ちを込めて贈るお歳暮。お歳暮は12月上旬から同月25日頃までに贈るのが一般的ですが、最近では個人情報保護やその他、様々な事情から、お歳暮やお中元のやり取りを規制する企業もあるようです。

 それはさておき、このお歳暮で人々の耳目を驚かせた戦国武将がいます。そう、豊臣秀吉です。今年の大河ドラマ「どうする家康」において、俳優のムロツヨシさんが秀吉役を演じ、その怪演が話題となりました。

 秀吉がまだ天下を取る前、織田信長に仕えていた頃のお話です。天正9年(1581)12月のこと。秀吉は播磨国(現在の兵庫県南西部)から、信長のいる安土へと向かいます。もちろん、手ぶらではありません。「歳暮の御祝儀」として、小袖2百を主君・信長に進上したのです。秀吉の凄いところは、信長だけに贈り物をしたのではないこと。女房衆にも多くの贈り物を用意してきたのでした。

 信長に歳暮の贈り物を贈ったのは、秀吉だけではありません。隣国・遠国の大名・小名、一門衆などが安土城にやって来て、金銀・唐物・衣服といった豪華な贈り物をすることが恒例となっていました。それは、信長の威光を示すものでもあったでしょう。が、秀吉の今回のお歳暮は、その他の者がもって来た贈り物と一味違いました。何より、贈り物の数が夥しいものであったようです。

 信長にだけ贈り物をする者は多くあったでしょうが、秀吉は女房衆にまでプレゼントしています。女房衆の秀吉に対する好感度は爆上がりだったでしょう。とにかく、秀吉の歳暮は「上下(身分の高い者も低い者)とも耳目を驚かし」たのでした。

 この逸話は『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記)に記されていますが、秀吉の豪勢なところ、気配り、強かさなど色々なことが見えて興味深いものです。秀吉の信長へのお歳暮は、残念ながら、翌年はありませんでした。天正10年(1582)6月、京都本能寺において、信長が家臣の明智光秀に討たれてしまうからです。そう思うと、天正9年の秀吉の歳暮には感慨深いものがあります。

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