松本零士「1000年女王」アニソンシンガー、40年ぶりに主題歌歌う!原大輔が語る思い出と決意

山本 鋼平 山本 鋼平
本名の高梨雅樹でも活躍した歌手の原大輔=都内
本名の高梨雅樹でも活躍した歌手の原大輔=都内

 歌手の原大輔さん(69)は1983年に発表した「秋冬」が70万枚のヒットを記録。以降は「恋慕色」「晩秋」など歌謡曲を中心に活動している。それ以前は、高梨雅樹の本名によるアニメ歌手で、1981年には松本零士原作のテレビアニメ「新竹取物語 1000年女王」の主題歌「コスモス・ドリーム 〜宇宙をかける夢〜」を歌い上げた。来年1月28日に開催されるライブ「TWENTY’S 20世紀のアニメソング~第2章~」(神奈川・相模女子大学グリーンホール)では、約40年ぶりというアニソンイベントに登場し、「コスモス・ドリーム」を披露する。当時の思い出、現在の心境を聞いた。

 歌謡曲のイメージが強い原さん。約40年ぶりのアニソンイベント出演を前に「歌謡曲を歌ってきたので、アニメソングのリズムに慣れないといけない。カラオケで練習していますよ」と楽しそうに語った。「コスモス・ドリーム」を公の場で歌うこと自体が、歌謡曲に進んだ後はほぼなかったという。

 「新竹取物語 1000年女王」は「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」の大ヒットを受け、フジサンケイグループと東映がタッグ。産経新聞では松本零士による漫画連載、フジテレビでは「999」の後番組として放送、劇場版の公開時にはニッポン放送でのラジオドラマなど、グループの総力を結集したメディアミックスが展開された。原さんは「新聞の『サンケイ』の題字の下に、1年以上『コスモス・ドリーム』の広告が出ていましたね」と回想した。

 原さんは1976年、フォークデュオ・レイラとして「サマーエンジェル」でデビュー。約3年の活動を経て解散後は、江夏一樹の名前でソロデビューし、三浦友和主演の映画「遠い明日」主題歌「熱くなれ〜ヴー・レー・ヴー〜」(ABBA「VOULEZ-VOUS」のカバー)をリリースしたが、ほどなく表舞台からは距離を置いた。

 「このままでいいのか、と思っちゃったんですよね。嫌になってプータローを1年くらい続けました。バイト感覚でCM曲の制作に関わった事もありましたが、これからどうしようかな、と考えていた頃、知り合いのポニーキャニオンのディレクターに声をかけてもらいました」

 それが「新竹取物語 1000年女王」の主題歌歌手コンテストへの誘いだった。課題曲は「コスモス・ドリーム」も作曲した、宇崎竜童によるものだった。

 「私の好みの曲でしたね。デモテープを送って1次審査、2次審査を通って、最後は代々木の山野ホールでお客さんを入れた公開審査でした。松本零士先生、フジサンケイグループのお偉いさんがいました。最後に残った10人で同じ曲を歌って、私がグランプリ。2位の女性がレコードのB面を歌いました。それからアニメ歌手として、キャニオンに入りました」

 最終オーディション前日は自身のバンドのライブを名古屋で行い、自ら車を運転して上京したという。「その時に流れ星を8回見たんですよ。翌日の山野ホールの駐車場が8番、ステージのエントリーが8番、受かったらアニメが8チャンネルでしょ。私のラッキーナンバーは8になりました」と振り返った。「アニメはすごいですよね。1年間プータローだったのに、日本武道館や野球場で初めて何千人を前に歌いました。アニメの映像や声優さんの力を借りて、こんな大きなことができるのか」と感激した。ささきいさお、水木一郎、小山茉美、戸田恵子、スラップスティックらとステージで共演したという。東京タワー前のステージ、不忍池の水上ステージなども思い出に残っている。

 都内で「まほろば」というパブをオープンさせたのもこの頃だった。「アニメの仕事なので、夜は時間がありましたから。アニメグッズも置いて、松本先生も来くれました。色紙を描いてもらいましたけれど、とても話し方が柔らかい方でしたね」と回想。「男おいどん」から愛読していた松本零士との、夢の様なひとときだった。

 テレビアニメは1981年から翌年3月まで放送された。1982年3月にはテレビ版の再編集ではない、オール新作と銘打たれた劇場版「1000年女王」(改題され新竹取物語が外れる)が公開された。ところが、作品は「ヤマト」「999」ほどの特大ヒットには至らなかった。劇場版の興収は同日に公開された映画「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」に及ばなかった。

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