吉本興業は26日、所属するお笑いコンビ・青空の須藤理恵さんが22日に45歳で亡くなったことを発表した。「すー」「すーちゃん」「すー姉さん」の愛称で親しまれた人柄を偲び、多くの芸人仲間が自身のツイッターでコメントを寄せている。
NSC大阪校17期(1996年)同期、ザ・プラン9のヤナギブソンは長文を投稿。「同期の青空須藤が亡くなった事を知って1日経ちましたさすがに突然すぎてびっくりしました。最近須藤に会ったという同期の元芸人の友達も、その時は全く元気だったって言ってたので。色々思う事はあるけど、よく言葉にできない。周りの人が亡くなる経験は今まで何回もあるけど、45歳は若い。残された周りの人達もつらいなぁ」と思いを吐露した。
そして「僕は、両親も育ててくれた祖父母も亡くなってて、家に仏壇がある。そのため毎日思い出す事ができる。なので、感謝の気持ちを伝えたり、時にはお願い事なんかをするのですが、それは忘れたらあかんから。その人の生きた痕跡を無くしたくないからだと思う」と自身の経験を回想。「須藤の事を知ってる人は沢山いるので、みんな代わりばんこでいいから、誰かが思い出したり、語り合ったりして彼女の人生を忘れないように出来たらと思います。須藤、ありがとうお疲れ様、安らかに。明日、顔を見に行くよ。忘れないからな」と、27日に鶴見斎場で執り行われる通夜に触れ、悲しみを言葉にした。
ザ・ぼんちの里見まさとは、通夜に出席した後と思われる内容で投稿。「今 青空 須藤に、順番が違うぞと叱ってきました。 いいお顔でした。もう野球談議が出来ない事を、未だ受けとめれていません。ご冥福をお祈り致します」と、気持ちの整理がついていない様子を明かした。
レイザーラモンRGは「レイザーラモンが東京行こうとした時に『今行っても何もない。大阪で実力つけてからでも遅くないで。』とアドバイスくれて引き留めてくれたのが同期の青空 須藤でした。そこから新喜劇に入りHGブレイクして東京へ。あの時引き留めてくれなかったら今のレイザーラモンはなかった。すーちゃん安らかに」と感謝をつづった。
三浦マイルドは破天荒な芸風を封印し、故人への思いを吐露。「青空須藤さんの訃報、ただただ悲しいです。舞台袖で後輩のネタを見てくれて、優しい言葉をかけてくれる方でした。baseよしもと時代、アイドル的な芸人が劇場のレギュラーだった時に、おもしろさで劇場メンバーだったのは流石だし、その漫才する姿もカッコ良かったです」と、尊敬の思いを示した。
熱烈な阪神ファンで知られるしましまんずのすなやま心すなおは「須藤よ、どういうこっちゃ? 東京で仕事の時は青空がおったら何か楽やったなぁ。帰りの新幹線は一緒に乗って、車内で酒を飲みまくったなぁ、ええ大人4人で。くつろげたわ。その後、まだ本町で飲むの付き合ってくれたんが須藤よ、君やがなぁ。なんなん、悔しいなぁ。ご冥福をお祈り申し上げます」と残念がった。高校野球大好き芸人のかみじょうたけしも「青空の須藤さんの訃報を夕方に知った。同い年で誕生日まで一緒やった。お互い野球好きで仲良くしていただいた。しんどい。何もわからない。優しい人。大好きやった。優しい人」と悼んだ。
後輩のスーパーマラドーナ・武智は「青空須藤さんは僕がbaseよしもとに入ったばっかりの時、礼儀など色々学ばせてもらいました。 須藤さん早すぎます… ご冥福をお祈りします」と、ゴリけんは「17期の同期のすーが… 一昨年大阪で飲んだ時は熱くてバリバリ元気だったのに…悲しい。ご冥福をお祈りします」とつづった。
須藤さんは1977年12月31日生まれ。京都市出身。NSC大阪校17期生(1996年)。1997年4月、同じくNSC大阪校17期生の岡友美と漫才コンビ「青空」を結成。baseよしもと、うめだ花月等の舞台やテレビ番組、ライブ、賞レースでの活躍のほか、後輩芸人の指導を行う教育係としても活動していた。
毎年、春季キャンプに出向いては各選手の分析を行い、野球ファンが集うイベント「野球狂ブルース」を長年にわたり開催するなど、熱烈な野球好きでも知られた。2021年11月5日には、 25周年記念単独ライブ「人生Blues~ベーブ・ルースとちゃいまっせ~」を神戸新開地・喜楽館にて開催。今年5月9日のなんばグランド花月「ノスタルジック演芸vol.7」が最後の舞台となった。なお、死因は非公表とされた。