大河『家康』側室の一人、お万の方とはどのような女性だったのか?

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(freehand/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ「どうする家康」第19話は「お手付きしてどうする」。同話では、徳川家康の側室となる「お万の方」が登場します。お万の方を演じるのは、SKE48の元メンバーであった松井玲奈さん。正室の瀬名(築山殿)に知らせず勝手にお万を側室にしたということで、家康は瀬名に叱られていましたが、ではこのお万の方(長勝院)とはどのような女性だったのでしょうか?

 お万は、築山殿の女中(侍女)でしたが、家康のお手が付いて、その側室になったと言われています。お万は家康の子を産むことになるのですが、それは天正2年(1574)のことでした。生まれた子は、幼名・於義伊。後に豊臣秀吉の養子にもなる結城秀康(家康の次男)をお万は産んだのでした。嫉妬した築山殿が、妊婦のお万の方を浜松城内の木に縛り付けて折檻したとの逸話がありますが、創作と思われます。

 が、築山殿としては、自分が産んだ家康嫡男の松平信康に「もしものこと」があった場合は、於義伊が家康の後継となることもあろうと考えていたでしょうから、お万や於義伊に余り良い感情は持ってはいなかったと推測されます。結局、家康の後継者は、側室のお愛の方=西郷局が産んだ徳川秀忠になるのですが…。さて、お万は秀康を産んだものの、秀康は前述のように、豊臣家そして結城家に養子に出されてしまいます。つまり、徳川の後継者レースからは外されていたと言えましょう。秀康は越前国(北ノ荘)68万石を後に与えられますが、慶長12年(1607)に、34歳の若さで病死。

 秀康の母・お万も北ノ荘で息子と共に住んでいたと考えられます。息子・秀康の死を悲しんだことでしょう。元和5年(1619)12月6日、お万の方(長勝院)は、北ノ荘において 72歳の生涯を閉じます。お万の方は、息子・秀康の菩提を弔いながら、北ノ荘で過ごしていたのでしょう。その3年前(1616年)には、家康もこの世を去っていました。

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