〝下北あるある〟だった「ベンチから空を見上げる鮎川誠さん」愛妻シーナさんと共に、地元の芸人が悼む

なべやかん なべやかん
膵臓がんのため74歳で亡くなった鮎川誠さん。拠点とした東京・下北沢の風景にも溶け込んでいた
膵臓がんのため74歳で亡くなった鮎川誠さん。拠点とした東京・下北沢の風景にも溶け込んでいた

 ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギターの鮎川誠さんが1月29日に膵臓がんのため74歳で亡くなった。鮎川さんは故郷の福岡県から上京後、愛妻・シーナさん(本名・鮎川悦子)ら家族と共に暮らした街が東京・世田谷区の下北沢。ライブハウスや小劇場が数多くあり、ミュージシャンや演劇人の姿を見かけることでも知られている。この街が地元である芸人・なべやかんが「日常風景の中にいた鮎川さん」を悼んだ

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 年を重ねると悲しい事が増える。それは子供の頃から楽しませてくれた方々との別れだ。エンタメ世界の人が亡くなっていく度、自分の年齢を感じるだけでなく、幼かった頃や学生時代の事を思い出し、その方々が数えきれないほど楽しませてくれた事を思い出し、悲しみが込み上げてくる。

 同様に街の変わり方にも寂しさは生じる。幼い頃から頻繁に行った渋谷東急本店が閉店。『およげたいやきくん』のレコードや超合金を買ってもらったり、「チーズフォンデュ」という食べ物を初めて知った場所でもあった。

 生まれた時から下北沢を中心に生活しているので、日々当たり前のように見ている街の風景にも思い入れが強い。犬の散歩で珈琲(コーヒー)店の前を通過すると、柄本明さんと松尾貴史さんが珈琲を飲み、談笑している。〝下北あるある〟だ。別の道を歩くと吹越満さんとバッタリ会う。これも〝下北あるある〟。

 そんな〝あるある〟の一つに(同エリアの)北沢川緑道を散歩しているとシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんとシーナさんに会う事があった。ベンチに座り、日光浴をご夫婦でされていたのでご挨拶をする。

 鮎川さんとドラマで共演した時は、空き時間に地元トークを色々とさせていただいた。このドラマは石ノ森章太郎先生原作で、ダンカンさんが監督、レギュラー陣は佐藤江梨子さん、桜塚やっくん、柴田理恵さんなどのそうそうたるメンバーで、鮎川さんはラスボスだったのだが、全て撮り終えていたのにお蔵入りになってしまった。ちなみに撮影中に怪奇現象が起こり、その話を島田秀平君が怪談として話している。

 下北沢で柄本さんをいつもお見掛けするカフェがあった。柄本さんは奥様の角替和枝さんと一緒にいる事が多く、それが当たり前の光景だった。角替さんが亡くなり、カフェもビルごとなくなり、いつもの風景に変化が生れた。同様にシーナさんが亡くなられ、お見掛けするのは鮎川さんだけになってしまった。当たり前の風景。当たり前のようにご挨拶をしていたのに。

 鮎川さんが亡くなり、その当たり前がまた一つ減ってしまった。ものすごく寂しいが、あのベンチの前を通過する度にお二人の事を思い出すだろう。ベンチに深く、浅く腰掛け、背もたれに背を付け、空を見上げていた鮎川さん。「年を重ねてもロックンローラーってかっこいいな~」と感じた。故人を思い出す事が最大の供養だと思っている。ですから鮎川さん、自分が死ぬまで供養し続けますからね。

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