「古代核戦争」説を信じる人たち「モヘンジョダロ」や「カッパドキア」などに証拠と主張も真偽不明

深月 ユリア 深月 ユリア
画像はイメージです(Gorodenkoff/)
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 有史以前の地球上には知られていない文明が繁栄していたが、「古代核戦争」によって滅亡したとされる説があるという。世界史の中で最古とされている文明は、実は滅亡後に再興したものに過ぎないのだという。いずれにしても、一般的な歴史観に反する内容で、専門の学者らによる議論の対象にはなっていないが、それでもこの説を唱える人たちがいるという現実がある。ジャーナリストの深月ユリア氏が諸説をまとめ、その説を主張する人に話を聞いた。

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 「これまで人類の歴史は核戦争で何度か滅び復興を繰り返している」という説がある。作家・怪奇現象研究家の南山宏氏の著書「古代核戦争の謎」、作家・橋川卓也氏の著書「人類は古代核戦争で一度滅んだ」によると、 世界各国には古代核戦争の痕跡と思われる「オーパーツ」(※発見された場所や時代にそぐわないと思われる出土品や場違いな加工品のこと)があるという。

 古代核戦争のオーパーツと言われている遺跡の一つがパキスタンにある「モヘンジョダロ」だ。「ある時に突如、人々が死んだ『死の都』」とも呼ばれているインダス文明(紀元前2500年前)の遺跡のことだ。 筆者が作家の山口敏太郎氏にインタビューしたところ、 「古代核戦争の証拠として、モヘンジョダロ遺跡が挙げられる。遺跡から見つかった遺体は突然勃発した何らかのトラブルによって死亡したと思われる。また、黒いガラス状の石が広範囲によって発見されており、いずれも核戦争発生の証拠だと言われている」。遺跡の人骨から高濃度の放射線が検出され、1500度以上の高熱で地面が焼けた痕跡があり、さらに「800メートル四方を黒いガラスの破片が覆った場所を見た」という証言があるそうだ。ただし、ガラスに関しての証言は証拠がなく、「オカルティストたちのデマではないか」という批判もある。

  紀元前16-12世紀にかけてヒッタイト帝国の軍の本拠地だった「カッパドキア」にある地下都市は核戦争から身を守るためのシェルターではないか、という説がある。カッパドキアの地下都市は頑丈な石では仕切られ通気口があり、料理を作るキッチンや油の貯蓄庫、家畜を飼育する部屋も備わっている。カッパドキアに住んでいたヒッタイト民族は人類史上初めて武器などに鉄を使用し、ヒッタイトの文献にも戦争に関する記述があるそうだ。

 南アフリカ共和国には、ユネスコの世界文化遺産に指定されているが、 アウストラロピテクスの骨など数多く発見されている 「人類のゆりかご」と呼ばれる遺跡がある。この遺跡には、直径50キロメートルほどのクレーター跡(フレデフォート・ドーム)は、 20億年前と1億4500年前に巨大な隕石(いんせき)が落下した跡だというのが通説とされてきた。しかし、偶然にも同じ場所に2度も落下していること、1億4500万年は恐竜が進化を遂げていた時代と重なることから、一部では「隕石でなく古代核戦争の巨大核爆弾による跡ではないか」という噂もささやかれている。

 山口氏によると、他にも古代核戦争のオーパーツがあるそうだ。「デカン高原やスコットランドで発見されているガラス状地形なども古代核戦争の跡地だという説がある。さらに他にも大胆な仮説として、火星でも古代に核戦争があったとされる説がある」

 いずれも考古学的な確固たる証拠はないが、このようなオーパーツに思いを馳せつつ、「核戦争が起きたらどれだけの被害が起きるか」と思考実験することは、今の時代にこそ有意義なのかもしれない。

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