NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、不気味な存在ながらも人気を博していた架空の暗殺者・善児(梶原善)が第33回「修善寺」にて退場しました。
善児は、北条義時から元鎌倉殿の源頼家の殺害を命じられ、実行しようとするが、修善寺にて頼家の頑強な抵抗にあい負傷。最後には、自らが養育してきた女弟子のトウに「ずっとこのときを待っていた。父の敵、母の敵」と刺殺されたのです。トウの父母は、11年前に同じ修善寺で善児に殺害されていました。トウは、父母の仇を討ったのです。
善児は、下人という身分が低い存在であって、人身売買の対象となるような存在でした。これまでドラマにおいて、幼い千鶴丸(源頼朝と八重姫の子)、北条宗時(義時の兄)、伊東祐親・祐清親子(善児の元主人)、源範頼(頼朝の異母弟)といった人々を見事な腕捌きで葬ってきた善児。
非情で不気味な暗殺者であった善児が最近では、自分に懐いてきた一幡(頼家の子)を殺すことを渋ったエピソードがありましたが、「人間」らしい感情が善児に宿っていた事を知った瞬間でした(その時、暗かった善児の双眸に輝きが宿っていたように見えました。一方、一幡殺害を命じたり、数々の汚れ仕事を担ってきた主人公・義時の目はかつての輝きを失くしていました)。
さて、年少の一幡を殺したのは、北条義時が遣わした藤馬(義時の郎党)という刺客だったとされます(鎌倉時代初期の僧侶・慈円の著書『愚管抄』)。トウは藤馬からヒントを得て創られたのでしょうか(藤馬は男性ではありますが)。藤馬について詳しいことは分かりませんが、それほど上層の家臣ではなかったはずです。
以前、私は善児は北条義時に仕えた武士・金窪行親をモデルにしているのではと書きました。行親は、比企氏攻めに参加したり、頼家の死後に反乱を企てようとした頼家の家人たちを忽ち討ち取ってしまう等の活躍を見せています。
行親は、義時の死(1224年)後も生きていますので、善児はそう簡単には死なないのではないかと思っていました。義時の死後は、嫡子で後継者の北条泰時に仕えています。1230年5月、将軍の御所で剣や衣服を盗まれる事件が起こりますが、泰時は行親らに御所警衛を命じていたりします。
兎にも角にも、鎌倉の闇を体現していたとも言える善児がここで退場してしまったのは、残念ですが、トウの「活躍」にも期待しています。