世界の伝統文化「闘牛」は是か非か、動物愛護の観点から「残酷性」への批判高まり、見直す時期に

深月 ユリア 深月 ユリア
写真はイメージです(fresnel6/stock.adobe.com)
写真はイメージです(fresnel6/stock.adobe.com)

 世界各国で伝統文化として長い歴史のある「闘牛」が動物愛護の観点から、その「残酷性」が問題視されている。ジャーナリストの深月ユリア氏が海外の闘牛ファンや動物愛護の関係者から話を聞き、その是非を検証した。

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 今年6月26日、コロンビアのトリマ県エルエスピナルで闘牛の試合中に、老朽化した3階建てスタンドの一部が崩れ、数十人がドミノ倒しのように地面に放り出され、少なくとも4名が死亡、300人以上が負傷するという事故が起きた。同国では、これまでも闘牛の試合中の転落事故は相次いでいて、老朽化した闘牛場の建築上の安全基準の問題もあるが、この会場で展開されている闘牛というショーそのものの是非も問われた。8月に就任するペトロ次期大統領も事件当日に「人や動物の死を伴うショーをこれ以上、許可しないよう求めます」とツイートし、闘牛に反対している。

 闘牛は、牛と闘牛士が戦う競技だ。現在でもスペインの一部の地方やポルトガル、南部フランス、南米などで行われている。

 闘牛用の牛は、広い牧場で放牧されているが、試合前に唐突に狭い車に乗せられて闘牛場に運ばれ、闘牛場の狭く暗い小屋閉じ込められる。そして、明るくまぶしく、観衆の大歓声が高鳴る闘牛場に送り出されて、目の前にはひらひらした大きな布が揺れていいる。 この時の牛は、何が何か分からないパニック状態だ。平常時は穏やかな牛も、ひたすら標的に向かって突っ込んで行くという異常行動を起こす。そして、売れている闘牛士ほど観客を楽しませるために、なるべく牛をあおりつつ試合を長引かせて、最後に心臓を突き刺し、とどめを刺す。

 もし試合中に牛が闘牛士を瀕死の重傷を負わせることになり「牛の勝利」となっても、その牛は別の騎馬に乗った人間に刺し殺される。つまり、勝敗に関係なく牛は殺される運命にあるのだ。

 「残酷ではないか」「動物虐待だ」「闘牛士も命のリスクがある」「子どもの教育に悪い」などといった批判も高まっている競技だが、闘牛はなぜいまだにスペインの国技となり、現在も一部の国々で親しまれているのか。

  スペインのロンダで闘牛を観覧した53歳のA氏に筆者が闘牛の感想を聞いたところ、「血気盛んなラテン文化なのでしょうね。お互いに殺されるリスクを追うという生死の間の瞬間を生で観賞できるのですから」という。また、メキシコで闘牛を見て牧場主とも面識ある45歳のB氏に筆者が取材したところ、「現地では闘牛士と戦って死ぬということは、屠殺されるより名誉ある死なんですよ。試合後の闘牛の頭は壁掛けとして大事に飾られて、土産店でも売られていますよ」と話した。

 日本でも「牛の頭突き」「牛相撲」のような牛と牛が闘う形式で、岩手県久慈市、新潟県二十村郷、島根県隠岐島、愛媛県宇和島市、鹿児島県徳之島、沖縄県沖縄本島、石垣島などの地域で闘牛が行われている。日本の闘牛は神事が起源とされているため、 欧米のようにどちらかが死ぬまで戦わせることはない。しかし、中には、あえて牛の角をわざと削って尖らせて行われるもの、けがしても獣医に見せない業者も報告されている。

 NPO法人アニマルライツセンター代表理事の岡田千尋氏に取材したところ、 「日本の動物愛護管理法では動物がけがをする恐れのある行為をさせることは動物虐待として罰則の対象になります。また、動物を闘わせることは原則的に禁止されており、たとえ伝統行事であっても動物に『必要な限度を超えて動物に苦痛を与える』場合には違法です。つまり、日本型の闘牛であっても、娯楽性が強いもの、牛がけがをすることが度々起きるような形のものは違法の可能性が高いといえます。社会通念は刻々と変化しており、動物の血が流れるような伝統や娯楽を既に日本では許容しない意識が形成されていると考えてよいでしょう。日本は欧米と比較すると意識が遅れていると言われることが多いですが、実際には、工場式の畜産を含めて、多くの残酷な文化は海外から入ってきています。日本がかつてのように自然や動物を対等に見て尊重する感覚を取り戻せば、多くの問題が解決するでしょう」という。

 「闘牛は伝統文化」という意見もあるが、SDGsやアニマルウェルフェアの理念が世界中で高まり、グローバルスタンダードな価値観が変わりゆく現在、動物達が犠牲になり人間もリスクを負うような娯楽は考え直すべき時期なのかもしれない。

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