2011年3月11日の東日本大震災から、今年で11年。復興も道半ばで、今年3月には再びマグニチュード7・3の大地震が襲い、〝大動脈〟である東北新幹線は現在も一部区間で不通となっている。そんな中、復興のシンボルとして、16年には児童文学作家・漆原智良氏の著書「天国にとどけ!ホームラン」(小学館刊)の題材にもなった宮城県気仙沼市の「フェニックスバッティングセンター」は、同30日で8周年を迎えた。その記念日に、1995年1月17日に阪神・淡路大震災の被害を受けた神戸市のご当地アイドル・KOBerrieS♪のメンバーが表敬訪問。被災地同士の〝魂の交流〟を果たした。
「フェニックスバッティングセンター」を経営する千葉清英さん(52)は、震災で7人家族のうち、長男・瑛太さん以外の5人を失った。東京出身で、妻の実家の家業である牛乳店を引き継ぐため、2003年に気仙沼に移り住んで8年。順風満帆な日々が、一瞬で崩壊した。
千葉さんと瑛太さんは九死に一生を得たが、その他の家族は自宅から車で避難する途中、津波に飲み込まれた。「『なんで?』っていう言葉が、頭を駆け巡っていた」と、当時のやりきれない思いを口にした。
2人の気持ちを支えたのは、大好きな野球の存在だった。千葉さんは高校球児で、瑛太さんもリトルシニアの選手。「息子がどうなってしまうのかが一番の不安だったので、仕事を終えた夕方から毎日、息子と新聞紙を丸めてボールに、落ちてる棒をバットにして、野球のまねごとをしてました」という。
震災から2カ月たった5月、岩手・前沢地区にバッティングセンターを見つけ、足しげく通った。瑛太さんが無心に打ち込む姿に、千葉さんは希望の光を見た。そして瑛太さんの「僕の周りには打ちたくても打てない子がたくさんいるから、気仙沼に作ってほしい」という願いを受け、バッティングセンターの設立を決意した。
日常の中で家族とした、何気ない約束。だが、家族5人を一瞬で失ってしまった千葉さんにとっては、あまりに大きな約束だった。「これを破ったら、息子は一生僕を信用しないし、自分も一生悔いが残ると思った」。家業の牛乳屋で開発した新商品「希望のヨーグルト」の売上金の一部に加え、1億円近い借金をし、震災から3年後に完成させた。
「生きている頃に話してたことを1つずつ思い起こしながら、家族がしたかったことを自分がしたいことに置き換えて、全部やってやろうと思ったんです」と千葉さん。だからこそ、打席数は家族の数と同じ7打席。ヨーグルトにちなんで、「23(にゅうさん)球で200円」という格安で提供している。
今年の地震の影響も残る中、かつて「希望のヨーグルト」の販売キャンペーンで神戸を訪れたことから紡がれた縁で、8周年の記念日にKOBerrieS♪の訪問を受けた。同市内の老舗帽子店「マキシン」が製作した「震災復興ハット」などを贈られた千葉さんは「神戸の方々にも、本当にお世話になりました。神戸の街は復興のお手本としてとても素晴らしいと思うし、またお邪魔したいです」と話した。
KOBerrieS♪のキャプテン・森島みなみ(23)から「どうして常に、自分よりも周囲のことを考えられるのですか?」と問われた千葉さんは「人が好きなんだと思います」と即答。「『生』という字は、土の上に人がある。人がいれば、どうにでもなるんです」と力強く語った。
同じく廣瀬未沙(20)からは、本のタイトルにちなみ「人生のホームラン」について質問が。「自分自身が本当にやりきったと言えることが、人生のホームランじゃないかな。まだまだ発展途上だから、これからの人生で、大きなホームランを打ちたいですね。震災の『おかげ』って表現がいいのかどうかわからないけど…、それが故に失ったものも大きいけど、得たものも大きいですから」と晴れやかに笑った。