4月の風物詩といえば入学式。中でも、日本の〝最高学府〟とされる東京大学の入学式は例年ニュースでも取り上げられ、今年はコロナ禍の影響で「家族等の入場は見送り」として12日に日本武道館で開催される。恵まれた環境で育った「エリート」というイメージのある東大生だが、複雑な家庭環境やトラウマ(心的外傷)を刻まれた生活環境から脱出するために受験勉強に没頭し、難関をクリアした人たちもいる。そんな東大出身者も含む11人の怪異体験を聞き書きした書籍「東大怪談」(サイゾー)が3月に出版され、単に「怖い話」の羅列ではなく、その背景にある特異な体験を掘り下げた点が注目されている。自身も東大OBである著者で映画監督の豊島圭介氏に話を聞いた。
「偏差値75の論理的思考をもつ東大生の頭脳でも説明がつかない怪異とは何か?」というテーマの一方で、漫画家の清野とおる氏が寄せた「東大生を見舞う怪奇現象!ざまあです(笑)」という帯文が目を引いた。清野氏といえば、テレビドラマ化された「東京都北区赤羽」などの作者にして壇蜜の夫だが、そのフレーズは、「順風満帆な勝ち組」という偏見や誤解も混在した「世の東大生観」を覆す本書の内容を暗示していた。
具体的な実例として、記者が印象に残った30代の男女3人の話をピックアップする。
男性フリー編集者(文学部卒)は中学1年時に某県の林道に立つ「牛人間」を目撃した。頭が牛で首から下が人間。にんべんに牛で「件(くだん)」と称される妖怪は日本でも江戸時代から瓦版などに残されている。両親の離婚後、母が新興宗教の団体で出会って再婚した男性とその娘らと山中の一軒家で暮らしたが、義父はクリスチャンでもあり、食事前に「天にまします我らの神よ…」と祈った後の「アーメンの手」で殴られていたという。別れた実父への情を持ち続けた多感な時期、通学時の近道で牛人間を見た。
出版社勤務の女性(理学部卒)は「汚部屋」で育った。ゴミが地層のように重なり、床が見えない部屋で母と暮らし、机が埋没しているため、折りたたんだ布団を机代わりにするか、山手線の電車内で何周もして勉強。トイレ内で負傷した足裏から壁に飛び散った自分の血には小さな生き物が何百匹も群がった。また、拒食症に起因する吐しゃ物をビニール袋に入れ、母に見つからないように室内の地層に隠してからゴミ捨て場に置くと、翌朝、その3袋がドアの前に整然と並べられていたという体験を振り返る。
ドラマプロデュサーの男性は京都大学を卒業後、東大大学院を修了。小学6年時、自宅近くにあった大阪の某遊郭で、不良少年たちに託された女性から受けた性体験が生々しく語られる。また、学生時代にヒッチハイクで乗り込んだカップルの車で山中の家に連れて行かれ、監禁されて謎の宗教への入信を強要される中、命がけで脱出する話はスリルとサスペンスに満ちていた。
「僕は安穏とした少年時代を送ってきたので、こういう壮絶な背景を持って東大に入った人が何人もいるんだということを今回の取材を通して発見した」と語る豊島氏。この3例については「アーメンの手で殴るお父さんも『牛人間』を見たことがあるのかもしれない。牛人間って一体、何の象徴なのか、ワケの分からなさを含めて怖い。汚部屋で育った彼女は社会的な教育を一切されず、『これはおかしいに違いない』と思って、大学に行くことで自らのゆがんだ幼少期から脱出する。(性的トラウマを受けた男性は)テレビ業界に入って、この封印していた話をすると喜ぶ人がいることを発見し、リハビリのように乗り越えようとしている」と評する。
豊島氏は「家庭内でネグレクト(育児放棄)や性的虐待を受けていた女性が『東大に行けばここから逃げ出せる、この状況を変えられるかもしれない』という一筋の望みを持って受験するという『避難場所としての東大』みたいな考え方があると知りました。『ずっと語りたかった。誰かに聞いてもらいたかった』という人たちもいました。話すことで自分の中で浄化したいという」と指摘する。
幽霊や心霊現象ではない、現実の話であっても、本書の語りには「怪談」の域に達する怖さがある。「東大」という枠組みでの聞き取りから浮かび上がった日常の中にある「怪」。それは誰もが体験しうる普遍的なものだ。