MBSの清水麻椰アナウンサー(26)は阪神・淡路大震災が発生した1995年、兵庫県神戸市に生まれた。地震は1月。清水アナは12月に産声を上げた。「被災地で生まれた震災を知らないアナウンサー」にとって震災を伝えることは容易ではない。もうすぐ「1・17」。今月からMBS・TBS系の情報番組「サタデープラス」(土曜、前7・30)の番組進行役に就任し、活躍の場を広げる清水アナに伝えることの難しさを尋ねた。
-もうすぐ1月17日です。阪神・淡路大震災から27年。清水さんが生まれた年のことです。
当時、家族は神戸市灘区に住んでいました。両親と姉が1人いるんですけど、姉は当時1歳でした。家族が住んでいた社宅は倒れなかったんですが、周りの住宅は倒壊したそうです。その上火事が発生して火災がひどかったと。その時の話を何回も何回も聞きました。
-お名前の「麻椰」は神戸にある摩耶山に由来する。
そうなんです。私は1995年生まれで、阪神・淡路大震災が起きた年に神戸で生まれたから神戸の地名を名前に入れたいと両親が付けてくれました。字は違うんですけど。
-神戸で育ち、関西のテレビ局のアナウンサーになった。これまで震災を伝える取材は。
ガッツリとしたものはまだないですが、今後、追悼の会とかの中継も担当したいと思います。2020年は震災から25年という節目の年で、初日の出の中継を担当しました。入社1年目です。震災から復興していっている神戸の街を太陽が照らしていく。その様子を震災の話も絡めながらリポートしました。親戚や友達も放送を見てくれて、震災の年に生まれた私が節目の年に神戸の街とともにテレビに映っていて初日の出を見ることができたと、すごく良かったと言ってもらえてうれしかったです。神戸の街に恩返しできた気がします。あの日の情景がすごく心に残っているんです。