MBS清水麻椰アナ「被災地で生まれた震災を知らないアナウンサー」の葛藤

インタビューに応じるMBSの清水麻椰アナウンサー
インタビューに応じるMBSの清水麻椰アナウンサー

 -生まれる前に地元で起こった大災害をその土地で伝えることは難しいのでは。

 難しいですし、知識として震災について中途半端に知っているので余計に慎重になります。何も知らず情報だけを勉強してというのであれば逆にうまくできると思うんですけど、私は震災の教育を受けてきて、親の被災体験も聞いています。ですから、実際に震災を伝えるとなると伝え方にすごく迷うだろうなと思います。震災のために友達や家族を亡くした人が多くいらっしゃいます。その中で私は生まれました。身ごもっていた子どもを亡くした方もいるかもしれません。私が「震災の年に神戸で生まれました」と言っているのをそういう方が見たら、「自分の子どもも今を生きていたらこんな感じなのかな」と思いを寄せてしまうこともあるかもしれない。伝え方には慎重にならないといけないと思っています。

 -アナウンサーになったきっかけは。

 学生の時にインターンシップでMBSに来たらすごく楽しかったんです。この会社の人たちと働きたいと思って試験を受けて、そのまま進んでいったんです。

 -入社時は憧れるアナウンサー像があった。

 いえ、全然なくて。私の憧れはフジテレビの三田(友梨佳)アナウンサーです。今は報道系の番組で活躍していらっしゃいますが以前はバラエティーもやられていた方なので、マルチなお仕事ができるようになりたいなと、ざっくりとしたイメージはありました。でもそのくらいなんです。具体的にと言われると採用試験の時もなかなか言えなくて、面接官から「え!?あなたアナウンサーになりたいんじゃないの?」と変な雰囲気になっていました(笑)。

 -昨年、一部週刊誌で「フリー転身が熱望される局アナランキング」に名前が挙がっていました。

 これ一番困るんですよ。困る困る。恐れ多いです。今は胸の中にしまって、自信に変えるだけでいいと思っています。この間、占いに行ったら「東には行くな」と言われたので、「もちろんそういうことは考えていません」(笑)。

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