元祖・寺社ガールでにぎわった、悲劇の主人公・足立姫に端を発した「江戸六阿弥陀巡り」誹謗中傷の怖さ

今野 良彦 今野 良彦
写真はイメージです(NORIMA/stock.adobe.com)
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 2022年も明け、初詣をした人も多いだろう。最近は正月だけでなく、平日でも「寺社ガール」と呼ばれる若い女性たちが神社仏閣を訪れる姿が目に付く。人気の観光地、古都・鎌倉などでは御朱印帳を手に、神社仏閣を巡る御朱印ガールで賑(にぎ)わっている。

 彼女たちの元祖ともいえる存在が江戸時代中期にも数多くいた。そんな元祖・寺社ガールたちに人気だったのが、悲劇のヒロイン・足立姫の物語に端を発した「江戸六阿弥陀巡り」である。東京都寺社案内などによると江戸六阿弥陀は、名僧・行基に由来すると言われている。天智天皇七年(668年)に生まれ、天平二十一年2月2日(749年2月23日)に没した行基は、奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者としていわれいる人物である。その行基が一夜の内に1本の木から6体の阿弥陀仏を刻み上げ、阿弥陀仏作成を依頼した長者が6カ所に寺を建立。6体の阿弥陀仏を1体ずつ安置したのが、「江戸六阿弥陀」とされている。実際は木余りと木残りの2仏を加えた8仏あり、その8カ所を巡礼するのが「江戸六阿弥陀巡り」である。

 行基が阿弥陀仏を彫ったのは、今も足立区や北区に伝わる足立姫の悲しい物語に由来している。足立区のホームページなどによると、約1300年前、足立之庄司宮城宰相という名家のひとり娘・足立姫が豊島左衛門尉清光という豪家に嫁いだ。だが、足立姫は引き出物が粗末だったと誹謗(ひぼう)中傷され、里帰りの際に12人の侍女たちとともに、荒川(今の隅田川)に身を投げてしまった。侍女たちの遺体はすぐ見つかったが、姫の遺体はついに見つからなかった。

 父・宮城宰相は、悲しみのあまり、諸国の霊場巡りに出発。紀伊国熊野権現の夢のお告げによって1本の霊木を授かり、それを熊野灘へ流すと、やがて荘司の故郷・熊野木という所に流れ着いたという。その際、諸国行脚中の行基が通りかかり、宮城宰相が霊木のことを話すと、行基は一夜で6体の阿弥陀仏を彫り上げた。さらに、余り木からもう一体を彫り、それが足立姫の遺影となった。これらの阿弥陀仏は後に「六阿弥陀」として近隣の寺院にまつられ、女人成仏の阿弥陀としてあがめられるようになり、江戸時代中期から大流行の巡礼地となったという。

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