ネッシーはいる!48年前にネス湖を探索した仕掛け人が明かす舞台裏、大物政治家も後方支援していた

北村 泰介 北村 泰介
写真はイメージです(こまちみゆた/stock.adobe.com)
写真はイメージです(こまちみゆた/stock.adobe.com)

 「世界最大級のミステリー」として、未確認飛行物体(UFO)と並んで、スコットランドのネス湖に生息するというUMA(未確認生物)「ネッシー」が語られてきた。ネッシーは1970年代にテレビを通して日本でも一大ブームとなっている。その仕掛け人となり、84歳の現在もユーチューバーとして活動する伝説の興行師・康芳夫氏が、よろず~ニュースの取材に対し、その舞台裏を証言した。(文中敬称略)

 「ネッシー」と称された恐竜のような大型生物は、西暦565年頃に修道院の僧侶が残した発見報告から人類史にその存在が伝説として刻まれ、撮影技術が発達した20世紀に何度も写真や動画でとらえられたが、まだ確証には至っていない。康はそこに「虚実皮膜の間にあるロマン」を求めた。事実か否かを検証することが目的ではなく、虚(ウソ)か実(マコト)のはざまに漂うファンタジーを追求するという行動に「生きる喜び」を見いだしたのだ。

 1973年、作家で前年に衆議院議員となった石原慎太郎を総隊長とする「国際ネッシー探検隊」が結成された。康は東大在学中に五月祭の企画委員長を務めた際に石原と出会い、その後も交流が続いた縁から、日本人が現地でネッシーを探すという企画の「顔」になることが実現した。メンバーは全国紙の広告で公募。会社社長、ダイバー、カメラマン、学生、クラブ歌手、ルポライターら20代から40代までの男女10人が採用された。ちなみに、その後、メディアで活躍することになる加藤タキが通訳兼コーディネーターとして含まれていた。

 このプロジェクトには、自民党の実力者による後押しもあった。康は著書「虚人魁人 国際暗黒プロデューサーの自伝」(2005年刊、学研)で、当時、自民党幹事長だった福田赳夫元首相とのやりとりをつづっている。福田は戦前、大蔵省から駐英大使館に財務官として派遣されていた時代に、英国中がネッシーの話題に沸いたことを覚えており、「協力しましょう」の言葉と共に、スポンサー企業への紹介状も書いてくれたという。

 一方で、福田が残した言葉を康は忘れられない。「康君、この計画はすばらしいが、たたかれるよ。注意しなさい。でもね、信念を曲げずにがんばりなさい」。同年9月に探検隊は現地入りし、地元で連日の歓迎パーティーを受ける中、福田が指摘した通り、日英の一部メディアからは批判的に報じられることもあったが、2か月の滞在中、粛々と探索を続け、地元民との協力関係には「満足感と充足感」があったという。

 「石原さんは(75年4月の)都知事選で美濃部(亮吉)さん相手に落ちたが、その遠因の一つが『ネッシーだった』…というのは冗談としても、石原さんには迷惑をおかけして申し訳ないと思っている。福田先生は大蔵省から財務官僚としてスコットランドに派遣されていて、最初に(日本人で)ネッシーを知った人。『きみが行くなら。僕は応援しよう。ただ、僕の名前は出すな』と言ってくださった。息子さんで後に総理大臣になる康夫さんが秘書だった頃です。そういうことで、当時はマスコミに対して、福田先生から援助をいただいたことは言わなかったし、今も具体的には言えないところもあるが、感謝しています」

 結果的に発見には至らず、探索は2か月で中止となった。それでも、当時、数年を経ても、甲子園を沸かせた高校球児に付けられた愛称(サッシー)がネッシー由来であったように、スコットランドから遠く離れた日本でも老若男女に「ネッシー」というワードは浸透。そのインパクトは残った。

 それから48年。康は当サイトに思いを語った。

 「今でも僕は『ネッシーはいる』と思っているんですよ。英国のエリザベス女王のご長男であるチャールズ皇太子が王立生物保護研究所の代表顧問をなさっていて、『金銭的な準備ができるなら、いつでも協力する』と言ってくれているのは事実です。その余裕ができないので、延び延びになっているが、僕の命ある限り、ネッシーを探したいと思っています」

  ネッシーは今も「虚実の間」で生き続けている。

【康芳夫オフィシャルHP】

 https://yapou.club/

【YouTubeチャンネル「康芳夫×虚霧回路」】

https://www.youtube.com/channel/UCazxg9YeaTxvkWZaGUO98Hg

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