東映動画が東洋のディズニーを目指して制作した「白蛇伝」(1958年)は日本初のカラー長編漫画映画として公開された、記念碑的作品である。東映はこの作品のために、スタジオを設立し、制作のシステムを確立させた。以降のアニメは東映動画をお手本としたセルアニメ(セル画を使ったパラパラ漫画風アニメ)が主流となった。アニメは予算をかけて多数のスタッフによって作られるものとなったのである。これらは商業アニメとも呼ばれた。
<見るアニメ>から<作るアニメ>へ
そんなアニメの隆盛期に小さな運動が起こった。漫画家の久里洋二、イラストレーターでデザイナーの真鍋博、イラストレーターの柳原良平。この三人が結成した「アニメーション三人の会」がそれである。
アニメーションを本職としない三人が各自で短編を制作して上映するという会であり、1960年を皮切りに東京の草月ホールで毎年開催された。多彩なゲストの作品も数多く上映され、日本における非商業アニメ、実験アニメ、アートアニメの礎を築いたイベントとなった。
そんな会ゆえ、いずれの作品も一筋縄ではいかない。久里洋二は「FASHIN」(1960年)で写真のコラージュにシネカリグラフ(フィルムに直接描画する技法)を加え、「SAMURAI 侍」(1965年)ではシンプルな線画のキャラクターを平面的な背景上に、無意味かつ縦横無尽に動かした。これはおそらくビートルズのアニメ映画「イエロー・サブマリン」(1968年)に影響を与えている。真鍋博は「時間」(1963年)で時計と針をモチーフに、動くデザイン画のような映像を作り、「潜水艦カシオペア」(1964年)ではイラストに水や泡の映像を合成した。柳原良平は本人の船好きを徹底し「M.S.CHANDA」(1965年)で物語も展開もない、ただただ貨物船の荷積みと出港の様子を淡々と描いた。
ゲストとして呼ばれた作家たちの作品も意欲的なものであった。グラフィック・デザイナーでイラストレーター、横尾忠則の「KISS KISS KISS」(1964年)は大量のキスのイラストを用いたものである。電子的なキス音とともに下に重ねられたイラストが破り出てくるというだけの内容。宇野亞喜良の「お前とわたし」(1965年)は女性の体にイラストを描き、女性が動くことによってイラストも動くというもので、非常にエロティックな雰囲気が出ている。厳密にはアニメと呼べる作品ではないかもしれないが、イラストを動かすという点においては斬新な手法である。
4回目以降は「アニメーション・フェスティバル」と名を変えてイベントの主旨は受け継がれ、和田誠、手塚治虫、林静一、古川タク、月岡貞夫、相原信洋、島村達雄、鈴木伸一なども参加し、商業アニメとはまったく違った自由な発想の作品が続々と登場した。
「アニメーション三人の会」は<見るアニメ>から<作るアニメ>へ、という観客への意識改革を目指したものであった。商業アニメのようなシステムや規模がなくても、アイデアひとつで作品制作が可能であることを示した功績は大きい。予算がなくても、絵がうまくなくても、制作スタジオがなくても作ろうと思えば作ることはできるである。特に現在ではユーチューブ等で誰でも気軽に作品を公開ができる場がある。芸術の秋に、みなさんも自分なりの作品を制作してはいかがだろうか?