こびとプロレス クラファン成功で団体化へ プリティ太田「三銃士、四天王つくる」現役2人から復活挑む

山本 鋼平 山本 鋼平
こびとプロレス復活へ決意を語るプリティ太田
こびとプロレス復活へ決意を語るプリティ太田

 存続の危機にひんするこびとプロレスに光明が見えた。女優の東ちづるが代表を務める一般社団法人Get in touchとこびとプロレス再生委員会が実施したクラウドファウンディングが9月10日、250万円の目標金額に到達。プロレスリングの購入にメドが立ち、日本初のこびとプロレス道場の立ち上げに大きく前進した。2人のみとなった現役こびとレスラーの1人、プリティ太田(43)は千載一遇の好機に燃えている。

 8月22日のクラファン開始から、期日まで35日を残しての到達。こびとプロレスの新団体設立に向け、同プロジェクトはSNSで団体名を募集中。その状況にプリティ太田は「うれしいしビックリですね。ここまで熱心に応援してもらえるとは。プレッシャーはありますが、やるからにはこびとプロレスを盛り上げたいです」と意気込んだ。親交がある芸人の小籔千豊、マット界では葛西純に加えて、面識のない蝶野正洋や中邑真輔、KENTA、真壁刀義、エル・デスペラードらトップレスラーからもツイッターでクラファンを呼び掛ける協力を受けた。「レスラーの間でこれほど盛り上がるとは考えていませんでした」と感慨深げに語った。

 こびとプロレス(ミゼットプロレス)は成長障害を持った小人症という低身長のレスラーによって試合が繰り広げられる。かつて全日本女子プロレスでは小人症のレスラーが所属し、その前座を盛り上げてきた。身長141センチのプリティ太田は、1994年に地元茨城で行われた興行で初めてその存在を知り、関係者からスカウトを受けた。成人後の2004年に入門したが、こびとレスラーの先輩はミスター・ブッタマンのみ。翌05年の団体解散以降、こびとプロレスの試合は2人のシングルマッチだけになった。「先輩のブッタマンさんが引退したら、こびとプロレスは終わり。舞台やテレビに出演するなど自分なりに頑張ってきましたが、もうこのまま終わっても仕方ないと考えたこともありました」。プロレスラーとしての活動は2カ月に1試合程度。いつでも試合や芸能活動を行えるよう、時間の融通が利くアルバイトで生計を立てている。

 みちのくプロレスなどで、一般レスラーと絡む機会も多い。こびとプロレス全盛期と同様に、試合では笑いを提供することに神経を使う。「最初は戸惑っていたお客さんから、だんだん笑いが生まれ、時には僕をムチャクチャに扱う(一般の)相手レスラーにブーイングが起きたりします」とやりがいを感じている。これまでは個人で体づくりに励み、試合当日にプロレスの技術を磨いてきた。常設道場の存在により、技術面の向上に意欲を見せている。

 今プロジェクト最大の目標は自身以来となる新人レスラーの発掘だ。この17年間、志願者は1人のみで、それも体力面に不安があり実を結ばなかった。全日本女子のように巡業先でのスカウトがなくなった点も痛い。「プロレスが好きで、やる気があることが最も大切です。タッグマッチを経験してみたい。フランケンシュタイナーやムーンサルトを見せたい。僕が受けて受けて受けまくってやりますよ。新しいことにどんどん挑戦して、こびとプロレスの三銃士、四天王をつくりたい。ぜひ仲間が増えてほしい」と呼びかけた。

 80年代まではドリフターズとの共演が有名だったように、お茶の間でも愛されていたこびとプロレスだが、「障がい者を笑いものにするな」という一方的な善意や良識にテレビでの活躍の場を奪われた。活動が注目された場合に、再び同様の声に悩まされることはないだろうか。「僕自身はそんな善意の声を浴びたことはありません。今回のクラファンで『こびとプロレスを初めて知りました』という声が多く、僕も茨城の興行で知ったように、そもそも存在自体が忘れられていましたから。ただ、東京パラリンピックではそんな声を挙げる人はいなかったように思いました。こびとプロレスも同じだと思います」と心配はしていない。「試合内容が良くないときに『ああ同情で笑ってもらっている』と感じる時が一番悔しいですね」と話すほど、当時とは状況は変わっている。

 READYFORでのクラファンは現在、こびとプロレス興行の開催、トレーニング機器などの購入を新たな目標に掲げ、400万円を追加目標に設定して継続中。ミスター・ブッタマンとともにこびとプロレス復活を託された責任を感じているが「個人的には海外に行きたい。もっとレベルを上げて将来的にはメキシコ、アメリカで試合をしたい」とキッパリ。レスラーらしい野心家の一面をかいま見せ、瞳の奥に炎を燃やした。

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