“しゃべくり”を生み出す漫才作家という仕事 世にも奇妙な職業図鑑

橋本 未来 橋本 未来
全て手書きで執筆していた当時の漫才台本
全て手書きで執筆していた当時の漫才台本

 ドラマや映画には脚本家。テレビ番組には構成作家。演劇には劇作家。では、大阪を代表する伝統文化の「漫才」にも作者がいることをご存知だろうか? 漫才作家と呼ばれる職業で、古くは“上方漫才の父”と呼ばれる秋田實をはじめ、昭和を代表する上方漫才師の陰には必ず漫才作家の存在があった。

  時代が変わり、若手お笑いコンビの多くが自作自演で漫才を演じるようになった今、漫才作家たちの活躍の場が失われつつある中で、どのような活動を行っているのだろうか。関西で活躍する演芸作家たちによって構成された「関西演芸作家協会」で会長を務め、漫才作家として45年ものキャリアを持つ高見孔二に話を聞いた。

 ◆ネタが短くなるにつれ需要が減少

 高見孔二が漫才の世界に飛び込んだ昭和50年頃。なぜ、漫才作家が求められたのだろうか。「当時は、漫才番組が花盛り。しかも、今とは違いネタの時間は10分〜15分というのが定番でした。いくらプロの漫才師とはいえ、その長さの漫才を毎回自分たちだけで作るのは至難の業。そこで、漫才作家の出番となるワケです」。しかも、テレビ番組だけではなく、劇場やイベント用の漫才台本も求められる忙しさで、全盛期には月に12本の台本を手掛けたこともあるという。

  その状況が大きく変わったのが、1980年に巻き起こった「MANZAIブーム」。主流だった長尺の漫才ではなく、10分以内のネタが求められたことで、漫才台本に求められる要求にも変化が訪れた。「例えば、漫才冒頭の“ツカミ”だけを作るとか。あと、大まかな流れとなるセリフだけを渡して、あとは芸人さんが内容を固めるというような時代になりましたね。だから、15分の中で、構成できっちりと魅せる台本を必要としない芸人さんが増えたんですよ。今はもっとネタの時間が短いから余計に漫才作家が介在する余地は少なくなりました」

 ◆異なる発想を求めるベテラン漫才師たち

 時代を追うごとにニーズが減っていく中、高見は今もベテラン漫才師を中心に台本を手掛け続けていると話す。「ある漫才師さんから依頼がありまして、お二人のイメージに合うような台本を作成したら『ぼくらに合わせんでもええよぉ』と言われたんです。その時に、『そうか。自分たちに無い発想を求めてるんや』と。おそらく、他のベテラン漫才師の方々も同じように違う発想を求めて、私に色々とご相談いただくのでしょうね」。

 とはいえ、漫才作家への需要が減っているのは事実。現役で活躍する作者の人数も年々減少傾向にあるという。そこには経済的な理由も大きいとか。「芸能プロダクションの文芸部に所属するとか、お芝居や番組の構成作家と兼業という人しか生き残れないのがこの職業です。過去を振り返っても、専業で漫才作家として活躍した人はいないんじゃないでしょうか」。そうした事情もあり、現役で漫才台本を手掛ける作者は関西で20名弱程度だという。

  その状況でも、高見は今後も漫才作家を続けていくと力強く話す。「何ともないフレーズをこの芸人さんがしゃべるとウケるとか、若い漫才師にネタを書いて『こんなふうに演じてくれるんや』というのが今も面白い。だから、求め続けられるうちは漫才作家を続けていきたいですね」。(敬称略)

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