現存する資料や写真によると、低い姿勢からの片手逆袈裟斬りの達人だった河上は身の丈5尺前後(約150センチ)と小柄で、色白の一見女性のようでした。それを踏まえて、抜刀斎として人斬りをしていた時代の緋村剣心も身長158センチ、体重48キロの小柄な男性に設定されたのではないでしょうか。
河上の墓が、日蓮聖人が61歳で入滅(臨終)した霊跡、池上本門寺にあるのには理由があります。池上本門寺は肥後熊本藩細川家の墓域で、斬首されたものの河上は脱藩せず細川斉護、韶邦、護久と三代にわたって仕えた経緯があるからです。
長州藩の高杉晋作とも親しく、奇兵隊の総帥に推挙された人物の墓を探しに、戦国大名・加藤清正が寄進した96段の「此経難持坂」を上ってみたらどうでしょうか。