ノエル・ギャラガー(53)が初ソロアルバムはオアシスの新作になるはずだったと明かした。オアシスのツアー中に曲を書いていたというノエルは、同バンドが解散した翌年の2010年に新たなバンドのノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズを結成、セルフタイトルのデビューアルバムをリリースしている。
モジョ誌に同アルバムの制作について聞かれたノエルは、こう答えている。「あれは次のオアシスのアルバムになるはずだった。最後のツアー中に、『イフ・アイ・ハッド・ア・ガン』『エブリバディズ・オン・ザ・ラン』『(アイ・ウォナ・リヴ・イン・ア・ ドリーム・イン・マイ) レコード・マシーン』を書いたんだ」「『AKA…ワット・ア・ライフ』は最後に書き上げたものだ。それが俺がソロアーティストとして誕生した時だ」
当時ノエルは、同バンドがあまり実験的ではなかったことに不満を感じていたそうで、グループに対する自身のビジョンが、バンドメンバーだったポール・ “ボーンヘッド”・ アーサーズやポール・ “ギグジー”・マッギーガンの脱退理由の1つだったのではないかと考えているそうだ。「リアムへの悪口じゃない風にいうのは難しんだけど、彼の好みは俺よりもずっと保守的なんだ」「文字通り、ビートルズとジョン・レノンだけを聴いているからね」「『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』をやってる時、プロデューサーのスパイク(マーク・ステント)がドラムマシーンを出してきたから、『リアムが40分でやって来る。嫌がるから、彼が来る前にこれを部屋から出して。そんな点灯してるライトは彼を驚かしてしまう』って言ったんだ」「オアシスはそんなバンドだったのさ。だから枠からはみ出したことをするのが難しかった。ボーンヘッドやギグジーが脱退の理由を話したことはないけど、『音楽が変わってきた。前とは違う』って思ったんじゃないかな」「でも、俺には十分じゃなかった。バンドメンバーに曲を聴かせる時、立ち上がって『素晴らしい』って言ってくれるようじゃなきゃ」「1人でも『うーん』って言うようじゃ、ましてやそれがボーカリストだったなら、ダメだ、無理だね。まるで親の愛を求めるような感じだ。人を喜ばすために行動しているようなものだ」