東京・銀座を走る首都高のそばにそびえる近未来的な住宅建築「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」が岐路に立っている。既に敷地の売却が決まり、住人の退去が続いているのだ。建築家・黒川紀章氏の設計で1972年に誕生し、コロナ禍前まで外国人観光客が見学や撮影に訪れていた海外から注目の名所も今後の行方は不透明。そんな中、同ビルで部屋を借りる女性が斬新なデザインのZINE(ジン、個人制作の冊子)を4月に出版した。節目を迎えた宇宙カプセル的住宅について住人の思いを聞いた。
ZINEの書名は「中銀カプセルタワービルデイズ(1)」(税別1000円)で、著者は2児の母であるコスプレDJの声(こえ)さん。セカンドハウス的に入居した部屋でDJの練習や配信イベントを行い、2018年から19年末までの日々が自ら撮影した200点以上の写真を中心に構成されている。カプセルの丸窓を模した型抜きの表紙の変形64ページに渡って随所にこだわりが感じられる。
編集、装丁を担当した三共印刷所の代表取締役・井上貴寛さんは「住み始めた時系列の日記。声ちゃんの頭の中を表現しています」と語り、声さんは「2冊目が20年、3冊目が21年の3部作。カブセルを借りていられる今のことや、これからどうする、どうなるという状況の中で総括したい」と説明した。
では、カプセルの行方はどうなるのか。声さん部屋のオーナーで「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」代表・前田達之さんは「形あるものはいつかなくなる。20年くらい前からなくなると言われていました」と切り出し、「壊すのは簡単ですが、どこか1社が買ってカプセルを交換することができないかと。この2、3年くらい、そのやりとりはコロナでストップしていますが、収束すれば海外の企業が買い取ってカプセルを交換し、これから50年くらい使うという期待はある。それが、できなけれぱ、元々の目標だったカプセルを外して活用していければ」と近づくXデー後の世界を見据えた。
前田さんは「未完の建物というか、50年たっているけど、まだ建物は完成されたわけじゃない。カプセルを交換するなり動かすことで初めて完成した建物という考え方を持っている。カプセルという細胞を新しくするだけじゃなく、細胞が外で増殖して生き残っていくという考え方でもいいのかな。きのこの胞子じゃないけど、いろんな場所に散っていく」とカプセル解体後に日本全国や海外に拡散する道も思い描いた。
改めて、前田さんは当サイトの取材に対して「取り外した古いカプセルが胞子のように各地に散らばる…面白いじゃないですか。できれば教育機関とか美術館に置かれて(黒川氏の)メタボリズムを継承できれば。いくつかは宿泊できるカプセル・ヴィレッジであるとか。ちなみに、黒川さんは79年に世界で初めてのカプセルホテルを作っています。ですから、その流れではある。最低でも1カプセルは残したいという気持ちはあります」と伝えた。
前田さんによると、全140カプセルのうち、昨年は50から60戸が週1回以上は稼働していたが、現在は30戸を切っているという。その中で、カプセルの記憶を後世に残そうという動きが並行している。カプセルを事務所とする映画監督のマサ・ヨシカワさんはドキュメンタリーを撮影中。声さんのZINEは同ビル見学ツアーや出演イベントのほか、出版社「東京キララ社」のネット通販、東京・中野ブロードウェイ内のショップ「タコシェ」で販売中だ。
声さんは「売り上げは全額、書店やプロジェクトへの応援資金にしていただきます」と語り、その後もカプセルの部屋でUМA(未確認生物)などについてのライブ生配信を行った。「終わりの日」と背中合わせになりながら、文化の発信基地として「ギリギリの境界線」で踏みとどまっている。