11月6日は1989年に40歳で亡くなった俳優・松田優作さんの命日となる。1970年代から80年代にかけてテレビドラマや映画でカリスマ的な存在感を発揮した松田さんだが、俳優としての出発点は演劇の舞台にあった。TBS系特撮ドラマ「ウルトラマン」のフジ・アキコ隊員役で知られる女優の桜井浩子(80)がよろず~ニュースの取材に対し、舞台人として駆け出しだった時代の松田さんとの接点を語った。(文中一部敬称略)
松田さんは日本テレビ系ドラマ「太陽にほえろ!」でのジーパン刑事役(73~74年)でブレーク後、テレビドラマでは同局系「俺たちの勲章」(75年)や「探偵物語」(79~80年)など、映画では「最も危険な遊戯」(78年)、「蘇る金狼」(79年)、「野獣死すべし」(80年)、「家族ゲーム」(83年)、唯一の監督作「ア・ホーマンス」(86年)といった主演作、初の米ハリウッド進出で遺作となったリドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」(89年)など数々の映像作品で知られる。
一方、自身が立ち上げ、作・演出も担当した演劇集団「F企画」の公演活動(74~78年)など舞台にも情熱を傾けた。その出発点として俳優・金子信雄が主宰した劇団「新演劇人クラブ・マールイ」の養成教室(71年)、文学座附属演劇研究所(72年)で演劇を学ぶ以前に、名優・岸田森が文学座を退団して、悠木千帆(のちの樹木希林)や草野大悟らと結成した劇団「六月劇場」に出入りし、裏方も務めていた。
桜井は「六本木の自由劇場に出ていた時、私に照明を当ててくださった人が、六月劇場の見習いをやっていた松田優作さんでした。彼が岸田森さんに付いていた頃です」と明かした。当時は無名の裏方だった松田さんの存在を認識しておらず、その事実はテレビドラマの主演級スターとなった本人から現場で伝えられた。
「優作さんが中村雅俊さんと一緒に出られた『俺たちの勲章』の最終回(75年9月24日放送『わかれ』)に、降籏康男監督から『(配役に)ちょっと都会的な変わった女が出て来るんだけど、重たくならない芝居をする人がいいので』と言われて出演したんです。現場に行くと、私を呼んでくださったのは、降籏さんではなく、優作さんだったと聞きました。その時、優作さんから『俺、あの時、桜井さんに照明、2週間くらい当ててたんですよ』と伝えられ、『えーっ!』みたいなことになったんですよ」
桜井は子役から東宝の専属となり、1966年1月スタートのTBS系「ウルトラQ」で新聞社のカメラマン・江戸川由利子役、同年7月から始まった「ウルトラマン」に科学特捜隊のフジ隊員役で出演し、テレビの特撮番組におけるヒロインの草分け的存在に。67年の東宝退社後はフリーとして数々のテレビドラマや映画に出演しており、松田さんとの接点はその中で生まれた。
桜井は「私が女優をやめようとしていた時にも、優作さんから電話がかかってきました。当時、彼が一緒にやっていた村川透監督に紹介したいと。『お姉さんみたいな感じの若い女優はいるけど、乾いた芝居をして、日常的じゃないキャラクターが欲しいから(監督に)紹介したい』と言われたのですが、『ごめん、私、やめるから』と言って行かなかった。会ってしまって(出演しなければ)悪いじゃないですか」と振り返った。
オファーは断ったものの、自分の存在を気にかけてくれたことがありがたかった。その後、桜井は一時的に活動を休止した時期もあったが、90年代半ば以降は後追い世代によるウルトラ・ブームの高まりもあって、特撮作品への出演も増えた。さらに「ウルトラマン青春記―フジ隊員の929日」(94年、小学館)から今年9月に出版された「ウルトラQはじまりの深層」(立東舎)まで7冊の著書を世に出し、円谷プロダクションのコーディネーターも務めている。
女優人生の岐路で背中を押してくれた3歳下の松田さんが世を去って37年。桜井は「その後、優作さんはいろんなことをやっていかれた。意欲的な人でしたね。俳優だけの感覚じゃないんですよ。岸田森さんも、(自身が共演し、今年3月に死去した)小川真由美さんもそうでしたが、演じながらも、また別の所から俯瞰(ふかん)して自分を見ている冷めた目がありました。あんなに早く亡くなられるとは…。残念です」と悼んだ。