日本の漫画史における金字塔的な作品「あしたのジョー」などで知られる漫画家・ちばてつや氏(享年87)が22日に都内の病院で死去したことが27日に報じられた。同作は衝撃的なラストシーンで知られるが、作画担当のちば氏と原作者の梶原一騎氏(1987年死去、享年50)との間に生じた「見解の相違」が、梶原氏の実弟で作家・空手家の真樹日佐夫氏から明かされた。16年前、真樹氏に聞いた証言から、何が真実か?…ということ以前に、ちば氏が毅然(きぜん)として貫いた漫画家の美学が伝わった。
「あしたのジョー」は漫画誌「週刊少年マガジン」(講談社)の1968年1月1日号(67年12月発売)から73年5月13日号(同年4月発売)まで5年以上に渡って連載。東京・山谷のドヤ街に現れた主人公の矢吹丈が元ボクサーの丹下段平と出会い、ボクシングに打ち込む物語。前半のクライマックスとなるライバル・力石徹との死闘を受け、70年3月24日には、劇団「天井桟敷」主宰者で劇作家の寺山修司氏の呼びかけによって力石の葬儀が都内で営まれてニュースとなり、その1週間後に発生した「よど号ハイジャック事件」の犯人グループが「我々は『明日のジョー』である」(原文ママ)との声明を残すなど、漫画の枠を越えて社会現象になった。作品は単行本として読み継がれ、アニメ化、2度にわたって実写版映画化もされた。
梶原氏は同誌で並行して連載した「巨人の星」が梶原名義であったため、本名に由来する「高森朝雄」のペンネームで原作を執筆。ちば氏はカリスマ的な存在となっていた原作者の原稿を元に、その画力でもって世界観を具現化した。同作の後半は力石の死を克服した矢吹が海外の強敵たちと連闘し、世界バンタム級王者ホセ・メンドーサとのタイトル戦がフィナーレとなる。
最終15ラウンド終了のゴングを聞いた矢吹は丹下に肩を抱かれながら「燃えたよ。真っ白に…燃え尽きた」とつぶやき、自身を見守ってきた財閥令嬢・白木葉子にグローブを手渡す。王者の勝利が告げられる中、コーナーで座ったまま微動だにせず、安らかな表情で目を閉じた矢吹の姿が白く描かれて終幕となるのたが、このラストシーンについて、2010年の秋、都内にある真樹氏の仕事場で話を聞いた。
「俺はちばさんに渡す前の梶原の原稿を読んでいた。最終回の白く燃え尽きるコマの前には、段平がジョーのそばに行って『お前は試合に負けてケンカに勝ったんだ。そう思え』とリングで語りかける場面が書かれていた。そして時が流れ、ジョーはパンチドランカーとなっている(※同作に登場する矢吹丈の好敵手)カーロス・リベラとともに療養所の庭みたいな所にいて、日差しの中、2人して笑顔で戯れているシーンで終わっている」(真樹氏)
ところが、ちば氏はこの案に反対し、真樹氏は電話口で火花を散らせた両者のバトルに立ち会ったという。
「梶原が自分の原稿を電話で伝えると、ちばさんは『これだけ長く15回戦の試合を描いてきたのに、いくら何でも段平の(セリフ)“ケンカに勝った”はないでしょう』と反論し、ケンカになった。梶原は『じゃあ、勝手にしろ!!』とかんしゃくを起こし、ちばさんは『やらせてもらいます!』と電話を切った。それで、あの結末になった。俺も、ちばさんが正解だったとは思うんだけれども、それは結果論。梶原の頭の中ではジョーを死なすつもりは毛頭なかったんだよ」(真樹氏)
後日談もあった。真樹氏は「ちばさんと『あしたのジョー』の結末を巡って意見が分かれた後、銀座のクラブでちばさんを見かけた梶原は『あの野郎、捕まえてくるか!!』と熱くなっていた。俺は側にいたんだが、それくらいの気持ちで命を削って書いていた。その兄貴に対し、毅然として自分の主張を曲げなかったちばさんも傑物だった」と回顧した。
貴重な証言を聞いてから1年3カ月後となる2012年1月2日、真樹氏は翌日に神奈川・逗子マリーナで開催予定だった新年会を前に現地で倒れ、鎌倉市内の病院に搬送されたが、71歳でこの世を去った。生前、真樹氏は「梶原は続編を想定したラストを書いた。ちばさんも“死んだ”とは描いていない。“白い灰”はあくまで比喩。俺は映画会社から頼まれた続編のシノプシス(粗筋)を書いたことがある」と“続編”に意欲を示していた。その一方、出版関係者は「ちば先生は『ラストシーンについては読者の解釈に委ねる。自分からは表明しない』というスタンスを取られていました」と代弁した。
確かに“白い灰”は言葉として「死」をイメージさせる。リング禍で逝った力石、メンドーサとの一線を越えた壮絶な戦い…といった伏線からも、その延長線上に「ジョーの死」があっても納得がいく。ただ、ちば氏は白黒を付けずに複数の解釈を可能とした結末を描いた。このラストシーンがあってこそ、「あしたのジョー」は時を超えて不朽の名作となった。訃報を受け、改めて、そう実感した。