大河ドラマ「豊臣兄弟!」第40回は「あさひの輿入れ」。天正12年(1584年)、豊臣秀吉と織田信雄(信長次男)・徳川家康との間で小牧・長久手の戦いが勃発しますが、戦いは最終的には秀吉側の勝利となります。
秀吉と信雄・家康は和睦することになりますが、信雄と違い、家康は戦後も秀吉に臣従する事はありませんでした。秀吉は天正14年(1586年)1月に家康を討伐するつもりでしたが、前年(1585年)11月に発生した「天正地震」の被害とその復興のこともあり、家康を武力をもって屈服させることを断念します。
天正14年(1586年)1月24日、信雄は三河国の岡崎城を訪れ、家康と会談。秀吉に臣従することを家康に勧めます。家康は秀吉に従うことをついに決断するのですが、それを受けて秀吉は家康を赦免しました。
家康が秀吉に従属する決断をしたのは、信雄の説得もあるでしょうが、家康が提案した条件が秀吉に認められたからとも言われています。その条件というのは、1つは秀吉の妹・朝日姫を正室に迎えること、2つは信濃国衆(木曾義昌・小笠原貞慶・真田昌幸)を家康の与力とすることだったと考えられています。前述の信濃国衆はかつて家康の従属下にありましたが、家康から離反し、秀吉に従っていました。
秀吉の妹・朝日姫を家康の正室とすることについては、これまで家康を懐柔するための秀吉の策のように言われてきました。しかし近年ではそうではなく、家康が要求したものだったと考えられているのです。
朝日姫を正室に迎えることにより、家康は「豊臣兄弟」(秀吉・秀長)の義弟となります。その事は秀吉に従属した後の自ら(家康)の立場を安定したものにするでしょう。そうした狙いもあって、家康は秀吉の妹・朝日姫を正室に迎えたいと欲したのです。
(主要参考文献一覧)
・和田裕弘「豊臣秀長」(中央公論新社、2025年)
・黒田基樹「羽柴秀長の生涯」(平凡社、2025年)
・柴裕之「秀吉と秀長『豊臣兄弟』の天下一統」(NHK出版、2025年)