刑事ドラマ「Gメン'75」(1975~82年、TBS系)で特別潜入捜査班のキャップ「警視庁の黒木警視」を演じた俳優・丹波哲郎さん(2006年死去、享年84)が没後20年を迎えた。同作の初期レギュラー俳優の岡本富士太(79)や助監督を務めた佐藤武光氏(77)がこのほど、作家・映画監督の山本俊輔氏が企画した都内のイベントに参加し、数々の“丹波伝説”を披露した。
丹波さんは「セリフを覚えない」ことで知られた。岡本は「(カンペ用の)台本をカメラに映らない所に置き、それを見てセリフを言っていくんですが、深作欣二監督が『ちゃんとセリフ覚えろよ!富士太、お前はギャラが一番安いのに覚えてるよな。丹波ちゃん、あんた一番ギャラ多いんだから』と怒ると、丹波さんは『分かった』と言いながら『じゃ、この辺でいいだろ』と、また台本を置いていくんです」と証言した。
さらに、岡本は共演したNHKドラマ「堂々たる打算」(76年)の裏話も披露。「丹波さんが演出の和田勉さんに『セリフが長い』と言うと、和田さんに『長いも短いもない。ちゃんと覚えてくださいよ』と返されてケンカになるんだけど、お互いに慣れてますから平気なんです。女性プロデューサーが『覚えてくださいますね?』と優しく声をかけたら、丹波さんは『俺は、覚えない…なんて一言も言ってないぜ。覚えられないんだよ!』って(笑)」
ところが、出来上がった作品の丹波さんは名優だった。佐藤氏は「テレビの『鬼平犯科帳』(75年)でも丹波さんと仕事をしましたが、やはりセリフを覚えてないんだけど、編集してみたら、セリフを覚えていた人より、丹波さんの方がきちっとしていているんですよ。『編集したら、丹波さん見事』という作品が何本もある」と明かした。岡本は「映画『大日本帝国』(82年)で丹波さんは他人のセリフまで覚えてきた。主役の時はちゃんと覚えてくるんです」とオチを付けた。
もう一つの“伝説”は「大遅刻」。岡本は「ちょっとの遅刻だったらまだいいですけど、半日来ないんですから。ある日、丹波さんが撮影所に着いた車の後ろからガウンに便所のぞうりみたいなのを履いて降りてきた。付き人が歯磨きや歯ブラシを入れたタライを持っていて、丹波さんは歯を磨いて、顔を洗ってヒゲを剃って、コーヒー飲んで、『じゃあ、いこうか!』って、もう昼ですよ!“遅刻”なんてかわいいもんじゃない」と振り返った。
また、岡本は「(Gメンの)ゲストが山城新伍さんの時、丹波さんは『グッド・モーニング!グッド・モーニング!』と言いながら遅れて入って来て、『おい、新伍、なんでこんな所にいるんだ』と驚いた。新伍さんもさすがで、『おっさん、どうせ台本読んでないから分からないだろうけど、俺、ゲストで出てんだよ』と返した。丹波さんが『お前、出てるのか!何やったんだ?』と聞くと、山城さんは『(役の上で)悪いことやらないと来ないだろ!』」と撮影所のやりとりを再現した。
丹波さんには“国際スター”としての矜恃があった。映画「007は二度死ぬ」(67年)で情報機関の「タイガー田中」という主要キャストを演じた。
岡本は「ロケ現場で僕はアルバイトをしていまして、丹波さんが来ないので、都内のホテルに迎えに行くと、ショーン・コネリーが出てきて、面白がって一緒に丹波さんの部屋まで付いてきた。ピンポン…と鳴らすと、丹波さんは『ご苦労、ご苦労、ご苦労さん!』と言いながら出て来て、ショーンを爆笑させた。その後、Gメンで一緒になった時、『あの時、007の現場にいたんですよ』と伝えたら、丹波さん、『そうだろ、お前だと思ってたよ!』って(笑)」と回顧した。
東映で共演した鶴田浩二さんもライバルだった。「丹波さんが『鶴田、お前は日本のスターだけど、俺は世界のスターだ』と言うと、鶴田さんも負けていない。『世界のスターなんだろ?セリフくらい覚えてこい!』」。さらに、岡本は「ロケ中に運転していた丹波さんが向こう側の車線から禁止のUターンをして、警察官に車を止められた時の言葉が『俺はGメンの黒木だ』。おまわりさんも困っちゃいますよね」と有名な逸話も付け加えた。
おおらかな人柄で後輩からも慕われた昭和のレジェンド。岡本は「他の仕事のオファーがきた時、丹波さんにGメンの降板を相談したことがあるんです。『この番組だけやっていると、自分はアクション俳優になってしまう。ホームドラマや時代劇もやりたい』と。そうしたら、丹波さん『ああ、そうか。いろいろあるだろうけど、ギャラ上げてもらえ』。そういうことじゃないんですけどね」と笑顔で懐かしんだ。
※トークイベントの模様は配信中。詳細は「岡本富士太 ショットガンフィルム」で検索。