大河ドラマ「豊臣兄弟!」第26回は「信長を笑わせろ!」。天正10年(1582年)4月から始まった羽柴秀吉による備中国高松城(岡山県岡山市北区)攻めが描かれました。同城はいわゆる「水攻め」されたことで有名ですが、それでは「太閤記」(江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が著した秀吉の伝記)には、それはどのように描かれているのでしょうか。まず同書は高松城について「名城」と記しています。その訳は三方には深い沼が広がり、平時であっても「人馬」の通行が困難だったからです。甲冑を着用して、高松城を攻めることなど不可能と同書は書いています。
さらに同城には広い水堀がありました。高松城(城将は清水宗治)は毛利家が数年間、苦労してこしらえた城であったので、数カ月間、力攻めにしたとしても攻略することは困難だと「太閤記」は記すのです。城主は先述したように清水宗治という「勇士」であり「智謀」優れた武将。しかも、毛利輝元からの援兵2千も立てこもっていました。この要害をどう攻略するか。「太閤記」において、秀吉がまずやったことは城の地勢を詳しく分析することでした。その結果、高松城は水攻めにするべきとの結論に達したのです。
その後、秀吉は城の近所に次々と火を放ち、城の周辺を占拠するのでした。堤防を築くためです。そして、堤を築くための作業が昼夜を分かたず行われます。よって十数日で堤は完成するのです。5月に入ると、大小の河川から水を注ぎ込み、ついに水攻めが始まりました。堤の上には柵を設置し、下には小屋を設け、敵方を監視。毛利方から密使を送ることさえ不可能にしたのです。
毛利輝元は3万の軍勢を率いて高松城救援のため出兵してきますが、水攻めのため、大河が滝のようになっており、救う手立てもありません。高松城は数十日で落城すると思われましたが、毛利方が大軍を派遣してきたこともあり、秀吉は主君・信長に加勢を依頼するのでした。水攻めにより、城に籠城する人々は籠のなかの鳥のような状態になっていました。
(主要参考文献一覧)
・池上裕子「織田信長」(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人「織田信長」(KADOKAWA、2014年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)