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大河ドラマ「豊臣兄弟!」竹中半兵衛の見事な軍略「太閤記」に記された内容とは 識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
 菅田将暉
 菅田将暉

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第23回は「さらば半兵衛」。菅田将暉さん演じる竹中半兵衛の死が描かれました。江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵の著した豊臣秀吉の伝記「太閤記」には、半兵衛の軍略が記されています。

 秀吉が北近江の横山城(当時は浅井氏方の城であった)を攻略するため、要害を構えていた時のこと。浅井久政(長政の父)が7000騎を率いて朝妻(滋賀県米原市)に向かうのが秀吉の目に映りました。秀吉は「これは良き獲物だ」ということで、要害を出て、久政の軍勢に攻撃を仕掛けようとします。

 ところがそれに「待った」をかけたのが半兵衛でした。半兵衛は「あの浅井の軍勢は朝妻に行くように見せかけて、実は我が軍と合戦をする積もりです。おそらく、こちらに攻めかかってくるでしょう。我が軍は少し前に出過ぎております。よってすぐに高い所に退くのが良いでしょう。敵が攻めてきてもそれに応じてはなりませぬ。敵が攻めかかって来た時はこれを避け、気を緩めて帰るところを追撃するのです」と秀吉にアドバイス。

 秀吉は半兵衛の献策をもっともだと思い、採用しました。すると半兵衛が言う通りの展開になったのです。激しく秀吉方に攻撃を仕掛けてくる浅井軍。半兵衛は「合戦のことは私にお任せください」と秀吉に伝えると、2000ほどの軍勢を2つに分け、陣を構えます。

 半兵衛は自軍を一歩も前に出させませんでしたが、敵方が侮り接近した時には鉄砲での攻撃を命じます。敵は20騎ほどが討たれ、それ以上、前進することはありませんでした。そして日暮れとなり撤兵しようとするのですが、そこを半兵衛の軍勢が急襲したのです。敵を混乱に陥れると、半兵衛の軍勢は素早く退いていきました。

 「太閤記」には半兵衛の戦略の見事さが記述されていたのです。しかしそんな半兵衛も天正7年(1579年)に播磨国で病没することになります。

(主要参考文献一覧)
・池内昭一「竹中半兵衛」(新人物往来社、1988年)

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