akiya_b

忌野清志郎さん死去から17年…5・2命日前に盟友が追憶「売れない時から曲が山ほど」「欲しかった車は?」

北村 泰介 北村 泰介
20年前、パワフルなステージでファンを沸かせた当時55歳の忌野清志郎さん=東京・日比谷野外大音楽堂(2006年5月4日撮影)
20年前、パワフルなステージでファンを沸かせた当時55歳の忌野清志郎さん=東京・日比谷野外大音楽堂(2006年5月4日撮影)

 ロックバンド「RCサクセション」(以下・RC)のボーカルでフロントマンだった忌野清志郎さんが2009年5月2日に58歳で他界してから17年になる。今秋には忌野さんのドキュメンタリー映画も公開される。命日を前に、ブレーク前夜から初代プロモーターとして支えた宗像和男氏(79)が当サイトの取材に対し、不世出のロックスターへの思いを語った。

 忌野さんは1970年、3人組フォークグループだったRCのシングル曲「宝くじは買わない」でデビュー。72年には「ぼくの好きな先生」がヒットし、井上陽水の大ヒットアルバム「氷の世界」(73年)に収録された共作「帰れない二人」も注目されたが、不遇の時期が続いた。78年から5人編成のバンドとして再出発。出会いはその流れにあった。

 宗像氏は「75年にキティレコードという会社に入り、海外で映画『ベルサイユのばら』製作の仕事に関わり、落ち着いた79年の夏頃だったか、たまたま社内で流れていた音楽の詞が全部(頭に)入ってきた。洋楽しか聴いてこなかった僕にとって、日本語の曲でそんなことはなかったので『これは何?』と、聴いていたディレクターに尋ねると『RCサクセションというバンドです』。ヒットに至らなかった『ステップ!』に続くシングルを何にするかということで、デモテープをカセットで聴いていたと。その曲は『雨上がりの夜空に』でした」と振り返る。

 そのディレクターは、後に山崎まさよし、スガシカオらを育てた音楽プロデューサーの森川欣信氏。宗像氏は1週間後、森川氏と渋谷のライブハウス「屋根裏」に足を運んだ。

 「バンドの後に清志郎が遅れて出て来てオープニング曲『よォーこそ』が始まると観客は総立ちに。1曲目から僕は度肝を抜かれた。それから2時間半、アンコール曲の『指輪をはめたい』まで鳥肌が立ちっぱなし、冷や汗をかきっばなし。翌日、会社で『RCの担当にしてください』と直訴し、特別宣伝マンとして、約2年半、担当しました」

 現場で勢いを体感した。

 「79年秋、渋谷公会堂にバウワウ、シーナ&ザ・ロケッツとの3バンドで出演。RCが2番目に出てきた途端に会場が総立ちになり、1階の観客がワァーッと前に押し寄せてきた。何ごとかと思いました。RCが終わると、お客さんが半分くらい帰っちゃった。そこからですよ、実感があったのは。年が明けて『雨上がりの夜空に』でシングルを切り(80年1月発売)、それに合わせて『屋根裏』で4日間ライブをやって観客動員記録を塗り替えた」

 担当時には、80年4月5日に東京・久保講堂で収録したライブアルバム「RHAPSODY(ラプソディー)」、オリジナルアルバムの「PLEASE」(80年12月)と「BLUE」(81年11月)、ベストアルバム「EPLP」(81年6月)をリリースした。

 「スタジオ・ミュージシャンの演奏で録音したシングル盤『雨上がりの夜空に』に、メンバーは納得しなかった。ならば、ライブをそのまま出そうと、アルバム録音のためのワンマンをやった。それが『RHAPSODY』です。さらに、バンド形態になってからのシングルのA面B面を入れたオムニバスアルバム『EPLP』を作り、最後に『BLUE』を出して日本武道館へ。屋根裏から武道館に行くまでの2年半でアルバム4枚を作ったことになります。一番勢いのある時ですし、清志郎は売れない時からの曲を山ほど持っていました」

 忌野さんはその後、RCやソロでの活動に加え、大ヒット曲「い・け・な・いルージュマジック」(82年)を生んだ坂本龍一さんとのコラボ、細野晴臣&坂本冬美と91年に結成した音楽ユニット「HIS」、覆面バンド「THE TIMERS」(88~95年)など神出鬼没に活動の幅を広げ、俳優としても木村拓哉と共演したフジテレビ系ドラマ「ギフト」(97年)などで唯一無二の個性を発揮。画家、エッセイスト、自転車愛好家などでも知られた。

 「僕は仕事を離れてアーティストとお茶や食事に行ったり…というのはあまりやらないんですけど、たまたま清志郎と話す機会があった時、『売れてお金が入ってきたら、何が欲しい?』と聞いた。すると彼は『車、買いたい』。車種は『モーリス・ミニ・クーパー』だと。それはイギリスの車で、僕は『清志郎に似合うよ。キャッシュでミニ・クーパーを買えるように俺も頑張るから』と約束した。僕が会社から離れた後、『最近、清志郎に会った』という後輩が『すごくかっこいいポルシェに乗ってましたよ』と言うので、『あれ?』となった。うれしい半面、ミニ・クーパーじゃなかったのかよ!って(笑)」

 宗像氏はそんなエピソードも追憶。「僕がいまだに思うのは、売れてない時の清志郎が書いた曲が一番いい曲だということ。僕にとってはぴったりくる。一番いい時期に関われたと思います」。4歳下だった盟友を偲んだ。

よろず〜の求人情報

求人情報一覧へ

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース