akiya_b

シュールすぎる!墓の前で包丁で刺した餅を黙々と食べる集団 実は何百年も続く風習 亡くなった人のお正月

石川美佳 石川美佳
※画像はイメージです(Paylessimages/stock.adobe.com)
※画像はイメージです(Paylessimages/stock.adobe.com)

 亡くなった人のためのお正月を、何百年も続けている地域がある。愛媛県の中・東予地方から、香川県の西の地域で「辰巳正月(たつみしょうがつ)」「巳正月(みしょうがつ)」「みんま」などと呼ばれ、その年に他界した人のためのお正月を行う。地域や家によってやり方は違うが、12月の第1辰の日や巳の日に家族や親類が集まり、お墓や仏壇にウラジロや逆さに編んだしめ縄を飾り、その前でお餅を包丁に刺して(または引っ張って)食べる。その間、話すことは厳禁。今年は12月1日、2日が辰巳の日となっている。

 起源は諸説ある。源平の合戦で正月を迎えられるか不安になった兵士を鼓舞するために予め正月の行事を執り行ったという説、南北朝の時代に琵琶湖で討ち死にした伊予国の兵士の訃報が届けたられたのが12月の辰(巳)の日でそれを弔ったという説、丸亀藩の藩主が「先祖に対しても正月を行え」と命じた説などいろいろ伝わっている。

 愛媛県の東端に位置する四国中央市から香川県の西にある三豊市にかけては「辰巳の正月」「お辰巳」と呼ばれている。四国中央市の西隣の新居浜市から今治市にかけては「巳正月」、松山市周辺では「みんま」と呼ばれているが、いずれもその年に亡くなった方のためのお正月だ。お寺の行事ではなく、民間行事のため、お盆のようにお寺からの案内はないし、2年目以降は行わない。あくまでもその年に亡くなった人のための正月だ。

 新居浜市にある正法寺では「本来なら楽しく新年を迎えていたのに、それができないという寂しさと亡き人への家族の愛情が形となって現れた行事」と位置づけ、「巳正月はご家族、親戚で行ってください」とする。「巳正月のお参りは行っていませんが、法要ご希望であればご連絡ください」としている。一方、瀬戸内海の島しょ部では、お寺で集まって地域の行事に浸透しているところもある。

 一般的な「辰巳正月」では、12月の第1辰の日に逆さしめ縄で飾ったお墓を参り、その前で餅をあぶり、参列者が一列に並び、出刃包丁で切ったお餅を包丁に刺し、後ろ向きに渡して順番に食べていく。この間、話すことは厳禁。一説によれば、話してはいけないのは敵に悟られないため、包丁に刺すのは刃にこだわったためで、いずれも兵士を弔うために始まったからだという。

 この包丁に刺すのは四国中央市から東の地域で、新居浜市以西は、あぶった餅を参列者で引っ張りあってから食べる。この餅は市内の和菓子店などでは「巳正月の引っ張り餅」として売られている。

 また香川の西の地区では仏壇に、逆さしめ縄はもちろん、ひっくり返した鏡餅を飾り(重ねず横に並べる地域もあり)、豆腐一丁にお箸を一本刺してまつるなど、民間伝承だけに統一した形はない。

 愛媛と香川で仏壇店6店舗を展開する木谷仏壇では辰巳の日に合わせ、逆さに編んだしめ縄を用意し、「辰巳正月」や供養にまつわる行事をブログ等で紹介している。また松山近辺ではしめ飾り・杖・草履の“みんまセット”が仏具店などで販売されるなど、民間には根付いた行事のひとつとなっている。

 以前は親類縁者や近所の人も参列していたが、現在では近所に住む故人の兄弟姉妹や家族のみで行う事が多い。また家族が集まりやすいよう、第1辰巳の日にこだわらず第2、第3(今年は13日、14日、25日、26日)の辰巳の日に行うことも増えてきているという。特に今年は「最初の辰の日が1日と早いので、2度目の辰の日に行う方もいらっしゃいます」(木谷仏壇)という。

 他の地域の人から見れば、しめ縄で飾ったお墓の前で、包丁に突き立てたお餅を黙々と食べている姿はシュールかもしれない。実際、他地域出身で婚姻などで新たに加わり参列した人は「これ、なに!?」と一様に驚く。だが何百年も続く行事だと知れば、興味深い。

よろず〜の求人情報

求人情報一覧へ

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース