10月9日以降、5日間で2つの台風(22、23号)が直撃し、大きな被害を受けた伊豆諸島の八丈島(東京都八丈町)。断水や道路の寸断に加え、土砂災害も危惧された。現在も不安な日々が続いている中、八丈島出身の歌手・畑中葉子(66)が現地で復興支援ライブを行い、被災者らを勇気づけた。畑中が27日、よろず~ニュースの取材に対し、被災地で目撃した光景や住民の肉声を伝えた。
羽田空港から25日に現地入りした畑中はライブ前に八丈島の特産品「明日葉」を扱う「あしたば加工工場」に足を運んだ。島の産業を象徴する場所が潰滅的な打撃を受け、再開のめどは立っていないという。
「八丈島の町中華っぽい日替わり定食のお店」として親しまれている「菜々屋」も屋根や壁がもぎとられていた。畑中は「台風直後は柱だけになっていた様子が取り上げられていました。うかがった日は建物に少しだけ板が貼られ、(経営者)ご夫妻で倒れた木を片付けておられました。地元でとても人気のお店だと聞いているので復活を願っています。お店経営の方々は今後が大変だと思います」と憂慮した。
メーン通り沿いでは損壊した建物を目撃。瓦礫置場では破損した家屋のトタンや板などが分けて置かれていた。毎夏、ホタルの光を楽しめる「ホタル水路」では木がなぎ倒されていた。さらに、畑中は「島の特産となっているシイタケ栽培の施設も倒壊し、今後の経営そのものが危ぶまれているということです」と付け加えた。
その後、ライブ会場のホテル「リードパークリゾート八丈島」へ。恩師の作曲家・平尾昌晃さん(2017年死去、享年79)とのデュエットで78年にヒットした「カナダからの手紙」をはじめ、「後から前から」(80年)、ソロデビュー45周年記念曲として一昨年リリースし、昨年に島での自主公演で披露した「八丈島からの手紙」など7曲を熱唱。同所に滞在する避難者も詰めかけ、「カナダから~」のデュエットなどで交流した。
改めて、畑中に現地で体感した切実な問題を聞いた。その1つは「生活用水の不足」だった。
「昨年のコンサートで協力してくださった方が住む地域ではまだ水が出ていなくて、何が欲しいかと聞くと、『洗い物ができないから、レトルト食品が欲しいです。そのまま温めてお皿に出さなくても食べられるから』とのことで、今回、結構な数のレトルト食品を買って持って行きました。『野菜の入ったものが欲しい』ということでスープを。毎日、都からペットボトルが配給されて飲み水には困らないようですが、洗濯などの生活水が足りず、トイレは雨水を貯めて流したりしていると。自衛隊の給水場にタンクなどを持って補給もできますが、それで疲れる方もおられます。また(特産の)焼酎が作れないというお話も聞きました。11月末には島全体に水が行き渡るようになると聞きましたが、水量はこれまでの日常には戻らないだろうという話でした」
もう一つの懸念は「物流の停滞」。畑中は「ご厚意で物資を送ってくださる方々の荷物が多すぎて流通が滞ってしまい、車の部品だったり、仕事で使う必要な物が届かないこともあるそうです。食べ物は島内でも買えるので、送るのは控えてほしいとおっしゃっています。今回、八丈島行きの飛行機に乗った時、『荷物を搭載するのに時間がかかっている』という機内アナウンスを初めて聞きました。それだけ荷物が立て込んでいるということです」と説明した。
畑中は「今回行って良かったのは『島全体が壊滅的なのでは?』と心配したよりは原型を留めていたと感じられたことでした」と振り返りつつ、「営業できなくなったお店などのスタッフさんのお仕事がなくなって困っているという声を聞きました。離島ですから(他地域の)皆さんの中には八丈島の状況に対して『えっ、そんなことあったの?』という人もおられ、島の皆さんは『この被災を忘れられること』をとても不安に思っておられます」と報告した。
支援ライブを行った「10月25日」は、生前交流があり、リスペクトするミュージシャン・遠藤賢司さん(17年死去、享年70)の命日だった。当初は23日に行く予定だったが、大雨のため延期。その日になったという運命的な経緯も背景に、畑中はライブで出会った被災者の重い言葉を受け止めた。
「土石流があった地域から命からがら会場のホテルに避難されたご年配の方に『寝ようとすると、土砂がガーッとくる、フラッシュバックみたいことが出ちゃって眠れないです』と伝えられました。また、ライブ後に『音が鳴って、歌を聴いたら涙が出て来た』とおっしゃる方がいて、ご自身の気持ちを気づかないうちに抑え込んでいたんだな…ということがよく分かりました。私は現地で皆さんに向けて歌ったり、メディアに発信して状況を知っていただくこともできるので、できる限りのことをやっていきたい」
今後に向け、畑中は継続的な支援を誓った。