大河ドラマ「べらぼう」第39回は「白河の清きに住みかね身上半減」。主人公の蔦屋重三郎の母・つよを演じるのは女優の高岡早紀さんです。ドラマにおいては、つよは髪結の仕事をしていたこともあり「人たらしで対話力」に長けているとの役柄です。重三郎の父と離縁したこともあり、重三郎と長く会っていませんでしたが、突如、再会し喧嘩しつつも交流を深めていく様子が描かれていました。重三郎の母を顕彰する碑文(実母顕彰の碑文)があるのですが、顕彰文を書いたのが重三郎と幾つもの仕事をした文人・大田南畝です。
重三郎の母の名前は碑文によると「津与」と言い、苗字は「広瀬」と言いました。江戸の生まれだったようです。津与は尾張国出身の丸山重助と結ばれますが、重三郎が7歳の時に離縁してしまうのでした。しかし重三郎はそんな両親を敬遠することなく、後に日本橋通油町の新居に迎えることになるのです。津与が亡くなったのは寛政4年(1792年)のことでした。津与が亡くなると、重三郎は母への報恩のため南畝に碑文を依頼するのです。この事は重三郎の母に対する想いというものをよく表しています。重三郎は母の顕彰碑文を残しても、父の顕彰碑文は残されていません。
「べらぼう」においては口汚く喧嘩をすることもあった2人ですが、実際はそのような事はなかったのでしょう。碑文の中では、重三郎の堅固な意志は、津与の「遺教」の賜物であろうことが書かれています。幼少期の重三郎は母から強い意志を持つ人間になれと教えられて育ったことが推測できます。そうした母を重三郎は慕っていたのでしょう。それは幼少期においても長じてからも変わらなかったと思われます。さて寛政4年10月26日に津与は病死し、正法寺に葬られることになりました。重三郎の性質は「志気英邁、不修細節、接人以信」(志が大きく才知に優れ、小さな事にこだわらない。人には信義をもって接する)と評されますが、そのような重三郎の気質は母から受け継いだものだったのかもしれません。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002年)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024年)