akiya_b

釜本邦茂さん「一番共鳴するアスリート」はイチローさん…「個」を評価 60代の夢は「野球の監督」だった

北村 泰介 北村 泰介
2011年11月、記者のインタビューに応じる当時67歳の釜本邦茂さん。その席で野球に対する思いも語った=大阪市内
2011年11月、記者のインタビューに応じる当時67歳の釜本邦茂さん。その席で野球に対する思いも語った=大阪市内

 日本サッカー界が生んだ不世出のストライカー・釜本邦茂さんが10日、肺炎のため81歳で亡くなった。2011年の秋、連載企画のため取材した際、当時の現役アスリートで「一番共鳴する」として挙げた人物がサッカー選手ではなく、イチローさんだったことが印象に残っている。スポーツ全般に目配せをしていた釜本さん。ジャンルを超えて「野球」への思い入れも強かった。

 「僕はね、現役のアスリートで一番、共鳴する部分がある選手はイチローさんなんですよ」。釜本さんは、当時、米大リーグ・マリナーズで活躍していた天才打者の名を挙げた。

 「1度、あの人のトークショーを生で聞いたことがあるんです。『5打数ノーヒットでチームが勝つのと、5打数5安打でチームが負けるのとでは、どちらがいいか』という選択に対し、彼は後者だと答えた。その部分で僕も共鳴したんです。僕もチームが勝てばうれしいけど、自分がゴールできんかったら面白くない。彼だってチームバッティングはできるんですよ。でもトップに行く人は『自分という者はこうだ』というものをしっかり持って、やってはるんやと思いますよ」

 釜本氏は当時、海外で活躍するサッカー日本代表選手の特性について「組織の中で献身的な仕事ができる」という点を指摘。それに対し、イチローさんには組織の中でも突出した「個」へのこだわりがあるという見立てによって共感を示した。

 「将来はプロ野球選手になりたかった」という。

 「好きなチームはやっぱり阪神。僕は昭和19年生まれで、子どもの時分は今みたいにサッカーが世間に浸透していませんからね。やっぱり野球ですよ。(京都の)広隆寺の境内で三角ベースをして遊んだり、野球選手のメンコをパチッ、パチッと、相手のをひっくり返して取り合いしたり。藤村(富美男)さんとか阪神の選手を集めとった」

 そんな釜本さんだったが、小学4年からサッカーボールを蹴った。

 「僕が通っていた太秦小学校には京都紫光クラブ(※京都パープルサンガの前身)という国体優勝もした教員団チームの先生が3人おられたんですよ。その中で一番若い先生から『野球はアメリカと日本やけど、サッカーは世界的なスポーツや。やっとったら外国に行けるんやで』と言われて、『ほな、サッカーやろか』と」

 それから半世紀以上を経て、当時67歳になっていた釜本さんに連載最後の質問として「これからやってみたい夢」を尋ねると、「野球の監督を1回やらせてほしいんですよ」と即答された。

 「もちろん、プロ野球の監督になりたいなんて言うたら、みなさんに怒られます。例えば独立リーグなんか、どうやろね。欧州のクラブはサッカーだけでなく、ハンドボールなど他競技のチームも持っています。Jリーグでは新潟がバレーとか野球もやってますから、関西でも『セレッソ大阪ベースボールクラブ』とかできへんかな。それなら現実性もある。1回やらせて欲しいわ(笑)」

 さらに、釜本氏は「ずっと生きてきたサッカーという競技から野球を見ているうちに興味が出てきた」と動機を説明。「僕やったら9人の投手に1回ずつ投げさせる。先発は5回まで投げなアカンとか、そんなんええやん。1人だけ外野を守れる投手も置いて、高校野球みたいに外野とマウンドを往復するとか」。野球少年だった頃に戻って瞳を輝かせた。

 既成概念から〝自由すぎる〟野球観で話が弾んだ。その11年後に誕生した日本ハムの新庄剛志監督に通じるものもあったかもしれない…などと勝手ながら思い描いた。

よろず〜の求人情報

求人情報一覧へ

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース