大手芸能事務所「ケイダッシュ」の川村龍夫代表取締役会長が30日、亡くなったことを同社が発表した。84歳だった。今年2月10日、都内で行われた〝伝説の呼び屋〟康芳夫氏(昨年12月死去、享年87)を偲ぶ会で、発起人の1人として出席した川村氏を取材した際のやりとりを振り返った。(文中一部敬称略)
開会直前、川村氏の姿を会場で確認して近づき、名刺を渡して自己紹介した。同氏と初めて接したのは、芸能担当ではなく、格闘技担当記者としてだった。
川村氏は2002年8月8日に東京ドームで開催された格闘技興行「UFO LEGEND」でイベントプロデューサーを務めた。メインを張った選手は「UFO」(当時、アントニオ猪木が率いたプロレス・格闘技団体)のエースでバルセロナ五輪柔道銀メダリスト・小川直也だった。
大会発表の会見で、川村氏が発した「小川直也選手の希望で、すべてガチンコで行きたい…」というコメントが今も記憶に残っている。記者がその場にいたことを、23年後に改めて伝えると、川村氏は〝こわもて〟から一転、 「なに、いたの!」「よく覚えてるな」と破顔一笑。眼光鋭い目がほどけて柔和になり、右拳で軽く記者の肩あたりをコツンと叩いてツッコミを入れてくれた。
康氏といえば、アントニオ猪木とモハメド・アリが激突した1976年の「格闘技世界一決定戦」に携わり、79年には猪木氏と会見に同席してウガンダでのアミン大統領との対戦をぶち上げた人物。川村氏にとって〝燃える闘魂〟とタッグを組んだという共通点があった。
夜の社交場で実業家、芸能人、文化人らと交流し、人脈を広げた康氏との接点を聞くと、川村氏は「康さんとは銀座のクラブでよくお会いました」と明かした。さらに話は赤坂にあった伝説のクラブ「ニューラテンクォーター」にも及んだ。力道山が刺される事件が起きた店として一般には知られるが、国内外の超一流の歌手やミュージシャンが出演し、そこでは良質のエンターテインメントの世界が繰り広げられたという。活力のあった「昭和の夜」を知る粋人(すいじん)でもあった。
「UFO LEGEND」の開催は1度限り。その後、新日本プロレスの取締役に就任するなど〝四角いリング〟との関わりは続いた。02年の夏、芸能や格闘技というジャンルを超え、興行に注力した川村氏の熱量は確かなものだと僭越ながら感じた。
康氏を偲ぶ会は、川村氏が1月20日に84歳の誕生日を迎えてから3週間後のこと。年齢を感じさせない元気な姿で、川村氏は献花台に立てられた康氏の遺影に手を合わせていた。その夜から半年も経たないうちに旅立たれるとは夢にも思わなかった。今ごろ、猪木さんと再会しているだろうか。