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大河「べらぼう」天明の大噴火はフランス革命の一因となった!杉田玄白が記した惨状

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
浅間山(画像はイメージ=公一 佐藤/stock.adobe.com)
浅間山(画像はイメージ=公一 佐藤/stock.adobe.com)

 大河ドラマ「べらぼう」第25回は「灰の雨降る日本橋」。浅間山(長野県北佐久郡軽井沢町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある成層火山)の大噴火が描かれました。いわゆる「天明の大噴火」(1783年)です。天明の大噴火の始まりは4月8日(9日との説もあり)のことでしたが、この世のものとは思われないような凄まじい大噴火は同年7月6・7・8日のこと。この時の大噴火により多量の溶岩流があり、例えば鎌原村(現在の群馬県嬬恋村鎌原地区)を壊滅させます。村では400人以上が亡くなるという大惨事となりました。

 浅間山の天明大噴火は関東一円に灰を降り積もらせました。「べらぼう」に平賀源内の友人として登場した蘭学医・杉田玄白(1733〜1817年)は「後見草」との書物を残していますが、そこには浅間山の大噴火にまつわる記述があります。当時、玄白は江戸に住んでいました。玄白によると天明3年(1783年)は晴れる日は稀で大抵は雨が降っていました。そのような状況でしたので、6月は暑さ知らずで、老人は冬の衣服を着る有様。7月に入るも空は曇り。4・5日になってやっと暑くなってきたので、作物の実りがこれでよくなると人々は喜び合っていたようです。

 しかし7月6日の夜、西北の方角で鳴動が起こります。最初、雷かと思われましたがそうではなく、夜が明けてみると風に誘われて細かい灰が降ってきました。夜明けだというのに空は仄暗いまま。7日もまた鳴動があり、灰も大粒となってきます。灰と思われるものを手に取ってみたら、それは焼砂だったとのこと。

 8日の朝となると鳴動はこれまでより激しくなります。人々は近国の山(日光か筑波山)が噴火したのだろうと噂し合ったようです。9日には江戸川の水の色が変わり泥のようになり、人家の材木や調度類、大木などが砕けた状態で流されてきます。そこには無惨にも手足の切れた人間や馬の死骸が大量に含まれていたとのこと。そのような痛ましい光景は他の川々でも見られました。さて浅間山から放出された火山灰は、欧州の異常気象・凶作の要因となり、それがフランス革命に繋がったとの見解もあります。その見解を踏まえると、浅間山の天明大噴火は世界史をも変えたのです。

(主要参考・引用文献一覧)
・大石慎三郎『天明三年浅間大噴火』(角川書店、1986年)。

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